大事なのは「自分読者」の存在です。好きなものは誰しもありますが、自分が好きなことが、即他人に伝わるほど世の中は甘くない。プレゼンでもそうですが、「自分」が出すぎるとウザいんです。多くの人に思いを伝えるためには、たとえ自分作業であっても「読者」という第三者の目が必要です。伝えたいものが「格好いい」なのか「いやらしい」なのかは別にして、伝えたい主題をより目立たせるようにするのが「編集」という作業。ある意味、「自分」を消していくことなのです。「エロ・スクラップ」でも、常に「どノーマル」でいることを心がけています。

小学校4年生で始めた「仏像スクラップ」。みうら少年の「世界観」が充満している。

一方で、スクラップを続けていると、自分自身を知ることにもなります。「この娘いいなあ」とグラビアを眺めるだけでなく、切って、貼るという作業をやると「ほんとにこの娘が好きなのか?」とか「ここがこうなっていたほうがもっとグッときたのに」とか、「もう少しローアングルで撮ってほしい」「露出はもっとアンダーのほうがいい」と思い始めます。

そうやって自分の性癖のようなものを突き詰めていくと、今まで漠然と言ってきた「好き」の底の浅さを痛感させられると同時に、自分がほんとうに伝えたいエロの世界観が見えてくるんです。自分のフィルターを通すことで、他人が構成したものには「なかった世界観」が際立ってくるわけですね。

みなさんは仕事で、まったく新しい物事を生み出そうと頭を悩ませていると思いますが、世の中に完全なオリジナルなんてありません。ただし、自分で情報を切り取って、並べて貼ることで化学反応が生まれ、より「ないもの」に近づけることはできる。例えば「プレジデント」に載っている偉い社長の写真とエロ写真を組み合わせたら、相当おもしろいことになりますよね。

「おもしろいこと」は常に違和感から生まれるんです。その違和感を楽しむのが「マイブーム」の原点。世間的な価値はないかもしれないけれど、いつか誤解されたり、世の中が変化したりして、誰かに評価されることがあるかもしれません。「ゆるキャラ」だって、初めは地方自治体から「うちはゆるくない」って抗議が殺到したんです。でも、今では「おもしろい」ということになっている。そうやって価値観は裏返ることがあるんです。それも違和感があればあるほど大きく裏返る。