選考はヘッドコーチの主観で?

さらに、選考にはヘッドコーチの主観による人間力という概念の評価が加味されるのだという。

人間力とは何か。

精神的に強く、誰からも慕われ人間的に優れていることはスポーツ選手としては望ましい。しかし、それがコーチの意に沿う、言うことを聞くなど上の者に従う人間、ということも含まれているとしたら話が違う。

代表チームのいわばトップが「好き嫌い」によって選手を選ぶということだ。

写真はイメージです

言うまでもなく、選ぶ側の恣意的な要素が加味される不合理性はあってはならない。タイムで争うような競技の選手の優劣は数字で明らかになる。人間力なる曖昧な概念が加えられていいとは思えない。

最近、日本の五輪代表選考会では一発勝負が増えてきた。水泳は選考レースで基準タイムに届かないと1位になっても派遣されない。アメリカは以前からこの一発選考が行われていて、上位何名までがそのまま五輪代表となるかが決まっている。よって後からもめることもない。

日本のマラソンは複数レース選考型の典型だ。

数レースを行い、その中から総合的な判断で3名を選んできた。毎回、「私を選んで」と言う選手が現れてきた経緯があるのは皆さんご存知の通りだろう。

もちろんレースの天候だったり地理的条件だったりに左右される競技の特異性もあるだろうが、ほぼ毎回もめている。

選考でもめるケースはなぜ、もめるのか?

簡単に言えば、情実が入るから、だろう。連盟の上層部の所属団体の選手、教え子とか、過去に実績のあるコーチや英雄的な人物の息のかかった選手だとか。

いかにも人間臭い世界だが、こうしたゴタゴタはスポーツ界だけに限らないだろう。企業の中でも見受けられることだ。

例えば、プロジェクトチームのメンバーに実績のある社員が適材適所で加えられず、上司の好き嫌いで抜擢されない、といったケース。

人事異動の一部は上司の情実で成立するとは言い過ぎだろうか。

上の言うことに対して文句を言わずやる者は使いやすいと重宝されるが、イエスマンの集団は上がコケれば、自分たちも一緒にコケる運命。同族会社、カリスマ経営者が居座る企業にありがちだろう。言いたいことの言えない風通しの悪い組織はどの道、滅びる。