王者がまさかの不覚

負けて学ぶ。これ、柔道に限らず、スポーツ界の常識である。屈辱と悔恨を糧に、栄光へと結ぶことができるのか。一流とそうでない者との距離は「負けて学べるか」が隔てる。柔道の重量級再建を託された23歳の原沢久喜(日本中央競馬会)は先の全日本選手権(東京・日本武道館)で不覚をとった。

前回王者の原沢は準決勝で旗判定において敗れた。でも、国際大会7連勝などの実績が評価されてリオデジャネイロ五輪100kg超級の代表に選ばれた。原沢は顔をゆがめた。

「本当に情けない。後味が悪い。非常に悔しい気持ちでいっぱいです」

でも、五輪に初めて挑むことになった。言葉に悲壮感がにじんだ。

「選ばれたからには、死に物狂いで覚悟を決めて、金メダルをとりにいきたい」

そりゃ、そうだ。最重量級は「柔道ニッポン」の看板クラスである。1984年ロサンゼルス五輪の山下泰裕氏、88年ソウル五輪の斉藤仁氏(故人)、2004年アテネ五輪の鈴木桂治氏、08年北京五輪の石井慧氏ら、そうそうたる柔道家が金メダルを獲得してきた。原沢は覚悟を口にした。

「国技でもある柔道で日の丸を背負って、世界を代表する選手たちを相手に戦うという重みというか、重圧というか、そういうものがすごくあると思います。重圧に負けずに戦うことで、自分も歴史に名を刻んでいきたい」