開発後半になって生産立ち上げの準備に追い込まれると、製作所のスタッフも100人単位で大部屋に押しかけて、開発陣と喧々囂々の議論を戦わせながら生産計画を詰めていった。
結果、二代目開発は前例のないほどのコストダウンを実現し、開発段階から設計と購買がコラボレートする〈DB協創=デベロップメントとバイヤーの協創〉は、ホンダの新車開発のスタンダードになりつつつある。
07年10月、二代目フィットは市販車第一号のラインオフを迎え、11カ月販売ナンバーワンの金字塔を樹立し、初代同様にカー・オブ・ザ・イヤーの栄冠に輝いた。
苦しみ抜いた開発のなかで、人見が最後まで守り通した鉄則が、一つある。
高い開発目標を維持し続けたことだ。一時、開発がどん詰まりになって進むべき道を見失ったときでさえ、人見は「限界」という言葉を決して口にしなかった。
「もうホントに窒息しそうな感じになっても、逃げることは許されません。もうダメだと思って目標値を下げた途端、モチベーションが下がって気持ちが切れてしまう。私自身は開発がダメになったら責任をとって上層部に謝罪する腹を固めていましたが、それは絶対に口外せず、開発メンバーには高い目標を持ち続けてもらいました。高い目標と制限を与えることが、クルマと人を成長させるのです」
そして開発を総括して指揮官・人見はこう言い切った。
「自己採点は90点です。フィットはエコノミーもスポーティーも、どちらもできていなければならないクルマなのですから」
人見の開発魂は、いつ実現するかもわからぬ〈100点満点の開発〉を永遠に追い求めている。(文中敬称略)
(鶴田孝介=撮影)