「大部屋ですから、やはり職場の士気が高まる。オープンな場所で皆が叱咤し合い、ときに喧嘩しながら仕事をすることで、皆で一つのクルマを開発している連帯感が芽生えてくる」

大部屋に陣取った人見の自席からは、メンバーすべての動きが把握できた。

人見は大部屋に〈コスト死守〉と大書きした張り紙を貼った。コスト増に通じる提案をしに来た者は入室を逡巡し、やがて張り紙は〈魔除け〉と噂された。

だが、新たなスモールカーづくりを目指した意気込みは、空回りを繰り返す。初代を変えようとすればするほど壁に突き当たり、迷路に迷い込んだ。

初代を開発した松本がいつも物差しを持ち歩いて1ミリ単位の調整でクルマを完璧に仕上げたことを知っていた人見は、自分が開発する立場に立ったとき、改めてフィットの高い完成度に打ちのめされる。開発チームのアイデアを上層部に何回出しても「そのどこが新しいの?」「そんなことをお客様は求めているのか!」と、ボロクソに酷評されて突き返される始末。

時間を経るにしたがって開発チームの士気は下がり、どん詰まり状態になっていった。人見が着任して以来、すでに半年以上が経過していたが、まだ開発コンセプトすら定まらなかった。

挫折。

意を決した人見は、開発チームの全体会議で、「開発の方向を変えざるをえない」と、戦略の大転換を伝える。変えることは皆で迷った末に辿り着いた結論であり、変えることが正しいのだと、人見はメンバーに訴えた。

開発チームが向かうべき方向は〈初代からの進化〉に定まった。人見は、開発ベクトルを変化から進化へ転換させたのである。チームメンバーは激しく戸惑ったが、人見が心配したほど開発モチベーションは低下しなかった。メンバー一人一人がどん詰まり状態を自覚して進むべき方向を見失っていたとき、人見が示した進化という軸足を得ることで、開発魂に火がついていく。