でも、若手の教育には、手を出し過ぎてはいけない。日中はほかのプロジェクトの仕事があったので、夜に出向き、作業員たちは帰し、午後8時から担当者と2人で実験を重ねた。相手が操作室に入り、自分は現場。トランシーバーで交信しながら、機器を調節するが、閉じ込めたはずの肥料が流れ出てしまう。どこかに、極小の穴があるらしいが、わからない。

夜10時過ぎには、失敗が判明する。装置内にフィルムがたくさん下がり、そこに尿素の粒がいっぱい付いて、海草のようなものがたくさんできていた。今度は、次の実験ができるように、それを全部そぎ落とす。洗浄に2、3時間かかり、すべてが終わるのは午前2時か3時で、帰宅して午前7時には起床。格闘の日々だった。

でも、諦めない。「粘り強く」が信条で、しぶとさには自負もある。実験で使ったフィルムを、何度も静岡県にあった研究室へ持っていき、解析を重ねてもらい、ついに原因を突き止める。極小の穴はどうしてもできてしまうものではなく、網状だと何かと接触してしまって傷がつく、という。そこで網状はやめ、円形状にした膜でやることに変えた。

それでも、粒状に包む仕組みがぐちゃぐちゃになり、いろいろ手法を変えてみたら、94年1月のある日、たまたまうまくいった。そのときの条件を動かさないようにして、もう実験はやめ、生産ラインをつくる。翌月に竣工し、試運転を経て、4月に稼働した。当初の目標より1年遅れたが、94年の田植え期には間に合った。

出来上がった製品は、30日間は田んぼの水の中でも溶けず、そこで膜が壊れて溶出し、次の30日間くらいで出ていく。投資額は15億円で、生み出した売上高は40億円から50億円となる。

実験の間に、図面づくりや取扱説明書の作成なども、プロジェクト担当に教えた。問題を抱えていたら週末に自宅へ呼び、指導が終われば酒を飲む。多様な課題が重なった時期で、若手は多くのことを身に付けていく。同時に、自分も貴重な経験を積んでいた。やはり、ときどき現場に立たないと、問題があったときに何が悪いのかがわからない。教えることは、学ぶことにつながる。だから、実験も一緒にやった。必死になってやった、と言える。