【弘兼】バンダイとナムコは社風が正反対だったと聞きます。バンダイは旬をつかむのが上手い。ナムコは作り込みが徹底している。悪くいえば、バンダイは流行にのるだけ。ナムコはこだわりすぎる。企業合併では社風の違いを乗り越えられず、共倒れになるケースも珍しくありません。どう乗り越えたのですか。

【石川】バンダイというのはいわば狩猟民族です。獲物を見つけてパッと捕まえて、商品を作り上げて素早くビジネスにしていく。一方でナムコは農耕民族。種から水を与えて、じっくりとキャラクターを作っていく。それでも自らが楽しんで、お客さんに喜んでもらうという根っこの部分は同じです。

【弘兼】石川さんはもともと、ナムコのご出身ですよね。就職先として、なぜナムコを選んだのですか。

【石川】私が生まれたのは弘兼先生と同じ、山口県の岩国市。家も近いので生活圏はほぼ同じだったはずです。私の家のすぐそばにピンボールのメンテナンスをやる人がいました。恐らく、アメリカの軍人が遊ぶピンボールを修理していたんでしょうね。バンバン、バンバンと音を立てながら玉が動き回るマシンです。

【弘兼】岩国には基地がありますから。

【石川】ピンボールがすごく面白そうで、「おじちゃん、やらして」と言って、触らせてもらったのが原体験にあるんです。就職を考える時期になったとき、就職雑誌を見ていたら、ゲームを作っている会社、ナムコというのが目にとまった。ああ、昔、ピンボールで遊んだな、ああいうものを作っている会社ならば面白そうだというのが入社動機です。

【弘兼】入社して最初は営業部門に配属されました。

【石川】東北担当の営業でした。それで会津若松の施設運営会社さんに売り込みに行ったこともありました。すると「出身地はどこだ」と聞かれ、山口県と言うと「帰れ」と。

【弘兼】会津と長州には戊辰戦争の恨みがありますからね。その後、営業から開発に異動されました。

(1)ガンダムフロント東京の入り口。「地球連邦軍」のコスチュームを纏ったスタッフが応対する。(2)無料スペースには、歴代の「ガンプラ」がずらりと展示される。(3)入場チケットを購入して奥に進み、ガンプラ作りを見学。(4)出来立てのガンプラはほんのりと温かい。(5)外国人向けに「日本製造」と表記し、品質の高さを訴える。