異動後の焦りが生んだ「ワ二ワニパニック」秘話
【石川】入社以来の希望でした。この頃、花形の部署は業務用のビデオゲーム機を手がける部署です。一方で、私が配属されたのは昔ながらの業務用ゲーム機の部署。長らくヒット作も出ていなかったので、私は企画担当としてヒット作を作らなければと必死でしたよ。
【弘兼】企画では「こんなゲーム機はどうだろうか」と考えるのですか。
【石川】その通りです。最初は自分で絵を描いて「こんなものを作りたい」と提案します。そのとき、モグラ叩きがヒットしていました。それを超えるヒット作をなんとか作りたいと思っていたところ、下から上に出てくるのを叩くのもいいけど、もっと面白くするには、怖いものが自分に向かってくるのを叩くというのを思いついたんです。
【弘兼】それが後に累計1万台以上の大ヒットとなる「ワニワニパニック」だったのですね。ぼくも子どもを連れてゲームセンターに行ったことを覚えています。
【石川】最初は上司に反対されましてね。産みの苦しみがありましたが、成功したときの喜びは格別です。まずはロケーションテストといって、試作の段階でゲームセンターに持ち込んでテストするんです。私たちが搬入しているときから、子どもがぞろぞろついてきて、電源を入れた途端にわーっと集まり一斉にやり始めた。みっともなかったんですけど、嬉しくてぼろぼろと泣きました。
【弘兼】その後、石川さんは05年にナムコの副社長に就任します。そしてこの年、ナムコはバンダイと経営統合してバンダイナムコHDが誕生することになります。経営統合自体には賛成だったんですか。
【石川】当時、私はナムコの開発担当の役員でした。社長を含めて役員は意見を聞かれましたが、私は絶対にやるべきだと言いましたよ。一番の推進派だったと思います。
【弘兼】どうしてですか?
【石川】ゲームとおもちゃを組み合わせたら、商品の幅が広がるので、面白いことがいっぱいできそうじゃないですか。ただ、当時はナムコの売り上げはバンダイより少なかったので、「乗っ取られるんじゃないか」という意見もありました。でも、私は単純に「バンダイと組んだら面白いことができるだろう」と。ただそれだけしか思わなかった。
【弘兼】ゲームのナムコとおもちゃのバンダイの組み合わせに可能性を感じたわけですね。
【石川】ゲーム業界というのは3つの根っこがあるんです。1つはピンボールやジュークボックスなどバーなどにおいてあったゲーム機をルーツにする会社がある。また駄菓子屋さんの店頭にあったようなシンプルなゲームをルーツにした会社もある。そしてナムコはデパートの屋上で木馬、遊具を作っていたところからはじまっています。いかに子どもに喜んでもらうのかというDNAが脈々と続いていた。その意味で、ブリキ製、あるいはビニール製のおもちゃからはじまったバンダイも同じだろうと考えていました。