弘兼憲史の着眼点

▼「非主流」での仕事経験は「島耕作」と共通している

対談の最後、唐池さんから「課長から会長になるまで、私の会社人生は『島耕作』とほとんど同じなんですよ」といわれて、人柄がわかったような気がしました。『島耕作』は主流派を歩き続けたサラリーマンではありません。子会社への出向など、さまざまな回り道をしてきた男でもあるのです。

弘兼「唐池さんのお話には必ずオチがありますね(笑)」唐池「生まれが大阪ですから。人を笑わせるのが好きなんです」

唐池さんは1977年に国鉄へ入社。その10年後、国鉄はJR各社に分割・民営化されます。東日本には山手線、東海と西日本には新幹線という「ドル箱路線」がありますが、九州はローカル線しかありません。しかも国鉄から引き継いだ列車は旧型ばかり。昔から九州にまわされる列車は旧型が多く、「鉄道の墓場」と呼ばれることもあったそうです。大阪生まれの唐池さんが、JR九州に配属されたときには複雑な思いだったのではないかと思います。

さらに93年には外食事業部次長として、畑違いの外食事業を任されます。唐池さんがすごいのは、ここで赤字続きだった外食事業を立て直してしまうところです。96年からは分社化して、「JR九州フードサービス」を設立。社長に出向し、事業拡大を目指します。そこで生まれたのが「うまや」です。日本の伝統や文化にあらためて注目した結果、収益確保に苦しむ鉄道を支える事業のひとつに育ちました。

▼地方活性化につながる「伝統工芸」の採用を

その発想は「ななつ星in九州」にも活かされました。目指したのは世界一の豪華列車。九州新幹線と同じ約30億円を投じて、日本文化の魅力に勝負をかけました。たとえば洗面鉢では九州を代表する伝統工芸・有田焼を採用しています。つまり世界一の調度品として、有田焼を選んだのです。

夢があれば、前に進む力が生まれます。日本文化の価値を、社運を賭したプロジェクトを通じて訴えていく。それは九州をはじめ、地方活性化にもつながります。いま地方が取り組むべきなのは、夢を掲げて、才能ある人間を巻き込むことなのだと思いました。

弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。
(田崎健太=構成 門間新弥=撮影 JR九州=写真提供)
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