「東海大に行けばパイロットになれる」。そう考えた辻少年は、附属校から東海大に進学した。
狭き門の航空操縦学専攻には進めなかったが航空業界への就職を目指す辻さんは、就職前に大学の「航空業界対策講座」を受講。同じ目標の仲間と情報交換や面接の練習をした。
また、辻さんは学生生活を通して体育会のラクロス部にエネルギーを注いだ。選手として活躍し、3年生になると主将に選ばれた。
パイロットを目指した辻さんは、就職活動で善戦したものの望みをかなえることはできなかった。だが技術職として飛行機に関われることに喜びを感じている。全日空から内々定を得ることができた理由として辻さんは、自分の元気のよさと明るさのほかに、大学の対策講座が効果的だったこと、部活動を通してチームワークを学んできたことをあげる。
森さんと辻さんに共通するのは高校のときから就きたい職業が明確だったこと。大学も偏差値ではなく就職を意識し、そこで何を学べるかを重視して選んだ。また2人とも体育会の部活を4年間つとめ上げ責任あるポジションに就いている。企業が求める人材像の一つかもしれない。
亜細亜大学経営学部の原翔太さん(仮名)は、中学生のとき父親の仕事で米国に住んだ。日本で続けていた野球を米国でも継続した原さんは、日本のプロ野球選手になることを決意。米国の高校を卒業後、亜細亜大学野球部のセレクションに合格し、そのまま入部した。立教大学や青山学院大学も一般入試で合格していたが、野球の環境を最優先した。
しかし1年生の冬に膝を故障。「ほかの部員のレベルが格段に高く、自分がプロ野球で活躍するのは難しそうなこともわかりました」(原さん)。野球部を退部した原さんは気持ちを切り替え、それまで力を入れてこなかった勉強に精を出す。
米国在住経験があり英語も堪能な原さんは、海外で働きたい希望を持っていた。3年生のときにはインドの現地企業で1カ月、インターンを行う。その経験が原さんに影響を与えることになった。
「インドには貧しい人が多かった。そこで後進国の人たちの生活を豊かにできる仕事がしたいという軸が出来上がったんです」(原さん)
インドで日本製のパソコンやデジタルカメラを使っていると、現地の人がのぞき込んでくるので貸してあげると楽しそうに操作する。「モノって人の気持ちを豊かにできるんだ、と感じました」と原さんは話す。