当初、海外を見据えて総合商社の就職に照準を合わせていた原さんは、インドでの経験を機にメーカーにも視野を広げ就職活動に臨み、11年の4月に京セラやカシオ計算機などから内々定を得る。その後、シャープなどの家電メーカーでも選考が進むなか、6月にパナソニックから内々定を得て就職活動は終了となった。
大学1年生で大きな挫折を経験した原さん。しかしすぐに気持ちを切り替えて勉強に打ち込んだ。その理由は将来希望通りの仕事をしたかったから。大きな挫折を乗り越え、新たな目標を見つけた原さんの話には、社会人も顔負けの強い説得力がある。
「取材させてもらえませんか」――。東海大学の関純也さん(仮名)は新聞記者の言葉を忘れられない。
野球名門校の球児だった関さんは高校最後の夏、自分より実力が上の選手がスタンドで応援するなか、ベンチ入りした。中村さんのデータ分析力を監督が評価したのだ。
「ベンチには入れましたが代打に出る可能性すらない。そんな僕を、ある記者が取材させてほしいと言いました。陽の当たらない場所にいる自分にも注目してくれるんだ、とうれしかったです」と関さんは微笑む。
大学進学は「スポーツに恩返しがしたい」と附属校から東海大学体育学部に進む。大学では野球部のマネジャーになることも考えたが、高校最後の夏の記憶がよみがえる。「自分も記者になってみたい」――。
将来を考えている間に部活やサークルの新入生歓迎会は終わり、取り残された関さん。そんなとき、大学の講座である「ジャーナリズム実践教育コース」に所属する。関さんは、新聞記者OBの教授が行う、このコースの実践的な授業に熱中する。
授業のゼミ活動の一環で、2年生のとき学生記者として、話題になっていた八ッ場ダムの埋め立て範囲内にある川原湯温泉の旅館に泊まった。
「旅館の親父さんに話を伺いたい、とお願いしてもまったく取り合ってもらえませんでした」(関さん)