「アジアは一つ」という本当の意味
――その約3カ月後、リーマンショックが起きたことは記憶に新しい。
【西村】アジア通貨危機を経験し、それを受けてのVISION2020の実現を加速させようとしていた矢先の出来事だ。ERIAは、リーマン危機対応の先兵として出動することを命じられ、ASEAN自立を視野に「アジア総合開発計画」をまとめていくことになる。それまでにも、アジア開発銀行が推進してきた「大メコン圏地域開発」などはあった。それらを一本化し、経済統合の深化と開発格差の縮小をめざした。
具体的には、交通、電力、港湾といったハードインフラの整備と関税手続のようなソフトインフラの改善によって、ASEANに存在する生産ネットワークを拡大、深化、高度化させ、各都市のGDP、産業、人口の拡大に資していくというものだ。これらは民間事業者の資金とノウハウを活用する官民パートナーシップ(PPP)も活用して実施していくことにしており、総額40兆円にものぼる695ものプロジェクトを選定した。すでに、その半分は動き出していて、ERIAが詳細をチェックし、分析・評価してきた。
いわば必然的な形でERIAはアジアの歴史の中に登場してきた。すでに、東アジアエネルギー政策に対する全面的貢献やASEAN中小企業政策インデックスの形成、ASEAN連結性マスタープランの完成とその推進といった分野で業績を上げている。さらに「アジアコスモポリタン賞」は12年と昨年に、政治家、経済・歴史学者、映画監督などの受賞者を発表している。
――昨年は平城遷都1300年を記念したイベントだったというが、その狙いは?
【西村】この賞は2年に1度、東アジア域内における経済面と文化面での貢献度が高い個人および団体に対し、国籍を問わず授与される。「ASEAN経済共同体」は、「ASEAN社会文化共同体」とは密接不可分だからだ。アジア発展の大義のために、みんなが努力することが大切だと考える。昨年は「奈良フォーラム」という形にしたが、平城京はシルクロードという古代のコネクティビティの終点に当たる。かつてはユーラシアの人と文化が集まった国際都市だった。だからこそ、アジアコスモポリタンの名にふさわしい。
明治に活躍し、日本美術の父といわれる岡倉天心はかつて「アジアは一つ」と述べた。もちろん、当時もアジアには多様性があり、日本もその中の小国に過ぎなかった。けれども、文化には共通のものがあり、同じ価値を創造できる。そうしたアジアの伝統と英知に、この半世紀の経験値を加味できれば、ASEANが進むべき道は見えてくるはずだ。私はそれを“Responsive ASEAN”、すなわち感動するASEANと呼びたい。
1952年大阪府生まれ。東京大学法学部卒。1976年通産省入省。海外貿易開発協会アジア太平洋代表、通商政策局南東アジア大洋州課長、愛媛県理事、中小企業庁経営支援部長、日中経済協会専務理事、日中東北開発協会理事長等を経て、2008年6月より東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)事務総長。2013年4月1日より早稲田大学客員教授、2013年10月よりインドネシア・ダルマプルサダ大学客員教授。