織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に限らず、戦国武将の2代目は影が薄い。

父が「明」だったとすれば、息子たちは「暗」だろう。

父たちは、どうにも歯がゆい思いをしていたにちがいない。

息子たちは、「父に比べて自分はダメだ」と思っていたのか、「時代がちがう」と思っていたのか……。

たしかに「時代」はちがっていた。父親たちは戦国時代の最盛期を生きていた。息子たちは戦国時代の終焉期、衰退期を生きていた。だが「時代がちがう」で片づけてしまってよいものなのか。

いま放映されているNHK大河ドラマ『天地人』も、しかり。

阿部寛が好演した上杉謙信が生きていた時代は、まだ織田信長が天下を統一する前だったこともあるかもしれないが、領地を接する武田信玄、関東管領として対立していた北条氏康、北陸で刃を交えた織田信長らと対等に渡り合っていた。カリスマ性に富み、「戦国一の武将」とも噂されていた。まさに「明」の武将だったと言っていい。

だが謙信が他界すると、養子の上杉景勝(甥)と養子の上杉景虎(北条氏康の七男)が対立した。謙信が「生涯不犯」を誓い、結婚せず、子供をもうけなかったためだ。

「御館(おたて)の乱」で景勝は勝利するが、戦さが長引いて国力は低下。本能寺の変が起きたことで信長の「北征」をまぬがれ、羽柴秀吉に与した。秀吉の命令に従うままに会津120万石に加増され、5大老のひとりに列するまでになったものの、秀吉が他界したのちも豊臣家への「義」を貫いたため、関ヶ原の戦いでは西軍に味方することとなった。

景勝が人生のボタンをかけちがえた瞬間だった。

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