国際情勢収集と自由な発想
情報学の基本原則からいえば古今東西、「経済情報」(物価、金利、為替、作付け状況、新製品など)が国境を越えるのが一番速い。経済情報の基礎は物資の動きと物価である。
発明王といわれたエジソンが汽車の中に印刷工場を持ちこんで、行く先々で新聞を売ったという逸話は有名だろう。彼は何を記事にしたか? 停車駅で仕入れる各地の物価である。鶏肉はいくら、牛肉は、タマネギは?
人々が欲しがったのは隣町の物価と特産品の動きだったのである。現在のグローバル時代では国際市場を同時に情報が回るから、物価というより為替レートならびに金利情報が世界を疾駆し、多くの投資家は1秒、2秒という瞬間に的確な判断を要求される。技術、金融システム、市場の状況に関して他国の情報を迅速に知ることが商業の勝ち戦に繋がる。
黒田家は目薬を商いの主柱にしており、全国に黒田家の行商が散った。行く先々でその土地の名産品ばかりか諸物価などの経済情報から、そして有力者や豪族一覧、統治者、対立勢力の構造などの政治情報も仕入れてくる。同時に目薬の原料の作付け状況や容器の貝殻(当時の目薬は綺麗な貝殻に入れた)の取得状況、その漁場における価格動向がわかる。
北条家の創始者、北条早雲は流れ僧侶の格好で伊豆の温泉に浸かり、旅行者、巡礼、土地の人々からそれとなく情報を得た。早雲は南伊豆の山々のそこかしこにあった城の規模や縄張り、その攻めやすい弱点なども各地で仕入れた。その事前調査が入念を極めたので後日の城攻めに大いに役立った。
美濃を乗っ取った斎藤道三は油商人だったように北条早雲は伊勢商人の流れで、伊勢新九郎の別名がある。
黒田家の祖先は北近江の木之本。琵琶湖の北東、近江はいうまでもなく関西商人の先達=「近江商人」発祥の地である。日本全土に商品を流通させた元締めであり近代資本主義の礎である。黒田家には代々、そうした自由な発想の血が流れていたのである。
官兵衛が堺と京で仕入れた情報は当時の国際情勢といってよく、的確な判断能力が必要とはいえ、次の時代がいかようになるかの予測材料に事欠かない。
北に上杉、甲斐に武田、関八州は後北条家が蟠踞し、越前に朝倉、北近江に浅井、南近江は六角佐々木、そして岐阜に織田信長が台頭し、南に目を転ずれば四国に長宗我部、西国には毛利、大友、島津など有力大名が控えていた。このような情勢下、京に近く、西の毛利と堺、岐阜に挟まれた播州がやがては有力武将らの覇権を争う係争地となることは明らかで、官兵衛の関心は次に自分の治める播州の行く末に移った。生き残るためには信長についたほうが有利ではないか、と。