小学生時代のほろ苦い思い出

では、そういった後天的なリーダーシップはどのようにして身につくのでしょうか。

まず言えることは、苦労もせずに楽に、平穏な人生を辿ってきた人では、強い使命感を持ち、自己犠牲を厭わない「無私」の心は築けないことです。リーダーの立場に就くまでの間に辛酸を嘗め、苦難に耐え、しかも、それをポジティブに、明るく、いい方向にとらえることができ、研鑽を積んできた人こそが、リーダーとしてふさわしい人間性を身につけることができるのです。

もう一つは、心の中に美しい「善なるもの」をいつも持とうと努力する人間になることです。私は、人の生きる目的は何をおいても世のため人のために尽くすことにあると自分に言い聞かせるとともに、リーダーたらんとする人にも常にこのことを話しています。辛酸を嘗める苦労をしながら美しいよい心を持った立派な人間性をつくりあげることが必要なのです。

私が小学生だったころの話です。鹿児島弁で「若かころの難儀は買うてでもせい」とよく言われたものです。両親から「掃除をせえ」「買い物に行ってくれ」と手伝いを頼まれたときに私は遊びたい盛りだったので、「若いころの苦労は売ってでもするな」と減らず口を叩いていたのですが、長ずるに及んで、学がなくても両親が口にしていた言葉は真理だ、と強く思うようになりました。

いい家庭に育って苦労する必要がない人でも、立派な人生を送ろうと思えば、お金を払ってでも苦労は買うべきだというのは至言だと思う。リーダーになろうと思う人は、苦労を買ってでも自分をつくりあげていくべきです。

「立派な人格」というのは、すばらしい哲学を備えているという意味だけではありません。「人をだまさない」「ウソをつかない」「正直でなければならない」「貪欲であってはならない」というベーシックな倫理観を堅持することでもあります。そういうことを常に自分に言い聞かせながら、それを実行しようとしている人が、次第に人格を高めていくことができるのです。