――1998年の終わり、サンパウロ州南部サン・ヴィセンテ市のイタラレ海岸
「私はトゥミアル対レカント・ダ・ヴィラの試合を見に来ていた。自分の息子が心配だったんだ。息子がどこに行ったのかと見回していると、小さくて細い脚でショートヘアの、すばしこい子供がいることに気付いた。休むことなくスタンドを走り回って上り下りを繰り返している。すばしこく動いても息切れすることもなく、何の障害物もない平面を走り回っているかのようだ。一瞬たりとも立ち止まらない。
あの子のすばしこさとバランスの取れた動きには驚かされた。あんな小さいうちからそんなことができる子供は、滅多にいない。私の目には資質の違いは明らかだったね。
脳内で電球が光り、私は友人に聞いてみた。『あの坊主は誰だ?』。すると、ちょうどフィールド上でPKを外したばかりのレカントの選手、ネイマールの息子だということだった。私は、この子の父親を観察した。立派な体格でボールの扱いも巧みだ。
それから、試合を見に来ていた母親のナディーネを観察した。背が高くて細身だった。私は、すぐにこの子の遺伝的要素に思いをめぐらした。両親とも、いいものを持っている。そして考えた。もし、この坊主にボールを扱わせたらどうなるか?
当時の私は、レガタス・トゥミアルクラブ(トゥミアルの正式名称)の監督だった。試合が終わると、私は父親に話しかけ、この子をテストしていいかと聞いてみた。
ネイマール・パパは了承し、その子は私についてきた。この子が私の前で初めてボールを転がし始めると、私の心臓はバクバクと動き始めた。すぐに、この子が天才であることを悟ったんだ。この子にとってフットボールは、生まれつき染みついているものだった。
6歳にして、すでに独特のスタイルをそなえていたよ。速さとバランスもあり、想像力豊かなトリックも見せていた。ドリブルが大好きでシュートの打ち方も知っていて、敵を前にしても恐れることがなかった。明らかに、ほかの子供とは違っていた。もし同年齢の子供200人の中にあいつを混ぜても、すぐわかるくらい才能が目立っていたね」
ベティーニョの愛称で広く知られるロベルト・アントニオ・ドス・サントスは、ネイマール・ジュニオールのクラックとしての力と初めて出会ったときのことを今もはっきりと覚えている。