対して伊東や野中が直面したのは、そのなかでホンダには消費者にアピールできる技術がない、という事態だった。北米市場がいざ冷え込み始めてみれば、以前から懸念していた通り、会社は装飾を剥ぎ取られたように生身の姿を晒し出していた。
同じ頃に新型フィットのLPLに任命された小西真は、同じ「Bセグメント」に区分されるフォルクスワーゲンの新型ポロに乗り、「世界はいつの間にか先に行ってしまっている」と危機感を抱いたと振り返る。
「ロサンゼルスの街を走り回りながら、欧米の『Bセグ』が明らかにファーストカーとして通用する水準に進化していることを痛感したんです。足回り、静寂性、乗り味――お金をかけすぎているきらいはあるけれど、水準がどこをとっても高い。比べて日本車は国内メーカー同士で食い合っているばかりで、フワフワと不安定なものが多かった。自動車評論家に言わせれば全然ダメな車。そして問題なのは、それを作っている自分たち自身がそう思ってしまっていたことでした」
そんななかで、伊東はいくつかの大きな改革を行うことを決断した。その一つがすでに動き始めていた軽自動車(N-BOXなど)とともに、フィットに代表される小型の「大衆車」の大幅な刷新を図ることだった。
「やはり我々が注力すべきは大衆車だ、ということ。開発から生産の仕組みまで、『フィット』を活用した商品をどれだけ充実させるかが発展のキーとなる。僕らにとってフィットは初代がそうであったように、今までにない価値観を表現すべき特別な車。『求められているから売れる』ではなく、商品そのものが社会に対する新しい提案でなければならない、と開発陣に強く伝えました」
彼は「フィット」に加え、フィットをベースに新たに開発する新興国向けのセダン「シティ」、小型SUVの「ヴェゼル」のあわせて3車種を「グローバルコンパクトシリーズ」と位置づけ、世界6カ所で同時に開発する方針を定めた。