「リーマンショックで、潰れかけた」。ホンダの社員はこう口を揃える。多額の赤字に陥ったわけではない。だが数字には表れない「危機感」が共有されていた。本田宗一郎と藤澤武夫という2人の創業者が、経営理念をめぐって議論を続けたように、いま現場にいる人間の仕事も、「ホンダらしさ」を問い直すことから始まった――。
(※第1回はこちら http://president.jp/articles/-/12711)
「好きなようにやれ。文句は言わせねぇ」
フィットやヴェゼルの外観デザインは、「エキサイティングHデザイン」と呼ばれる新しいコンセプトに基づいている。
従来のフィットの穏和な表情をがらりと変え、攻撃的な鋭さを前面に打ち出したデザインは賛否を巻き起こした。この新デザインを一手に担当したのが、四輪R&Dセンターデザイン室でグローバル・クリエイティブ・ダイレクターを務める南俊叙だ。
「グローバル展開のための強いホンダの顔を持ちたい。それをおまえに任せる」
社長の伊東孝紳と常務の野中俊彦にこう言われたとき、南は2人の意図を汲み取って「腹を決めるしかないな」と思ったと振り返る。
1990年に入社した南は、社内でも自他ともに認める個性的なデザイナーだった。高校時代にプレリュードやワンダーシビックといったホンダ車に魅了され、美術大学を卒業後、同社に入った。
「僕はホンダのデザインのファンで、ホンダ車のデザインがしたかった」
そう語る彼は、しかしこの20年間の仕事の中で、徐々に物足りなさを感じるようになっていった、と言う。
「徐々に実感したのは、会社も年を取っていくということでした。経験が増えると同時に、チャレンジする前から『これは無理だよ』という声が社内から出てくることが増える。車種の数は昔と比べて膨れ上がり、1個のデザインにかける時間も少なくなっていきましたしね。デザイナーとは本来、個の存在でなければならないのに、一つひとつの仕事を予定通りにこなす『会社員』になっていった、という気持ちがありました」