◇退屈【たいくつ】
退屈といえば一般に、何もすることがなく、暇を持て余すことだ。「退屈しのぎ」という言葉もあって、あくびの一つも出てきそうなのんびりとした状態である。
しかし、仏教語の退屈は、逆にもっとシリアスな状態を意味する。すなわち仏道修行の苦しさや難しさに屈して仏道を求める心が退き、精進努力する心を失うことが退屈なのである。
厳しい競争で淘汰され、屈して退く事業や商品は数知れない。事業の成功に向けて精進努力する心を失ったあげく職も失って、暇を持て余す、なんてことにならないように……。
◇縁起【えんぎ】
縁起がいい悪いというように、「縁起」は吉凶の兆しの意味で日常的に使われる。しかし、本来の意味は「他の多くのものの力、恵み、おかげを受けて、私たちは生かされている」という仏教の基本的な教えである。『阿含経(あごんきょう)』には「これある故にかれあり、これ起こる故にかれ起こる、これ無き故にかれ無く、これ滅する故にかれ滅す」とある。すべてのものには必ずそれを生んだ因(原因)と縁(条件)とがあり、それを仏教では因縁生起=縁起という。因と縁と果(結果)が複雑に関係しあい、影響しあって、持ちつ持たれつの状態にあるということだ。
たとえば花が咲くのは種という原因があって花という結果になる。しかし、種があるだけでは花は咲かない。温度・土質・水分・肥料・日光・人間の細心の手入れなど、さまざまな条件が種に働いて花は咲くのである。ここでいう条件が縁ということだ。
ビジネスの世界も同じ。いくら有望なシーズ(種)があってもそれだけでは事業は実を結ばない。市場ニーズなど周囲の環境や、事業を進めていくチームの人間関係、社外との連携など、さまざまな縁があって実を結ぶ。多くのもののおかげを受けて、ようやく事は成るのである。