人生の判断基準を「他人の物差し」に委ねない
自分はいま、幸せなのか。人生に満足しているか。老後の蓄えは十分か……。こうした悩みを抱えて他人に嫉妬したり焦ったりしている人の多くは、自分の人生の判断基準を「他人の物差し」に委ねてしまっているように見えます。
「同期のあいつの家より広いか」「平均貯蓄額に達しているか」といった比較に、いったい何の意味があるのでしょうか。自分にとっての幸福や満足を、他人の物差しで測れるはずがないのです。
世間の物差しではなく、「自分の基準」を、自分の頭で設定すること。これこそが、「自分に誠実」に生きるということでしょう。「人は人、自分は自分」という境界線を引くのです。
自分の物差しで生きる基準を決めてしまえば、他人のペースに振り回されて無駄な劣等感を抱くことも、虚しい優越感に浸ることもなくなります。
あなたが人生の終盤で目指すのは、他人に勝つことでしょうか? それとも、自分が定めた人生の目標を叶えることでしょうか?
自分の人生の審判は、自分しかいません。自分で決めた目標に対して、どこまでも誠実に生きようではありませんか。
「いい人」を半分だけ降りる
僕は以前から、「人生の後半、無理に“いい人”になる必要はない」と言い続けてきました。
というのも、世間一般で言われる“いい人”の多くは、周囲にとっての「都合の“いい人”」にすり替わってしまっているケースが、ままあるからです。
こちらのお願いを断らない。自分の望みを抑えてでも他人の都合を優先してくれる。反論しないし、場に波風も立てない……。
職場でも、終業間際に「悪いけど、これ今日中にやっておいて」と理不尽な仕事を振られたとき、本当は早く帰りたいのに「ここで断ったら冷たいやつだと思われるかな」「場の空気が悪くなるかもな」とあれこれ心配して、つい引き受けてしまう。
周囲の顔色を窺い、期待に応えようとがんばることは、決して悪いことではありません。むしろ、これまでの現役時代を生き抜くためには、そうした協調性が必要な場面も多々あったはずです。
ただ、あまりにも相手のペースに合わせすぎて、気がつけば自分の大切な時間やエネルギーを使い果たしてしまっているとしたら、それは少しもったいない気がします。
本当は気が進まないのに、笑顔で引き受けてしまう。本当は行きたくないのに、無理してつきあってしまう。
それは一見、相手に対する大人の配慮や優しさのように見えますが、視点を変えれば「自分の本音をごまかしている状態」とも言えます。相手に嫌われたくない、摩擦を起こしたくないという気持ちから、つい心にもないポーズをとってしまう。
それは結果として、自分の大切な本心をちょっぴりないがしろにしているという意味で、自分自身に対して不誠実になっていると言えるのではないでしょうか。

