命を差し出すことだけが責任ではない
1948年5月19日、判決が下された。
岡田資、絞首刑。
岡田とともに、19人の部下も裁かれた。岡田の主張は自らを救うことにはならなかったが、主任弁護人フェザーストーンによる国際法論争は、この裁判を単なる捕虜処刑事件ではないものにした。
岡田はその後も助命を積極的に求めようとはせず、1949年9月17日、巣鴨拘置所で刑死した。米軍の公式記録にも、この日、死刑が執行されたことが残っている。
岡田の死は、責任の引き受けの結末ではあっても、その中身ではない。中身は、その手前にあった。処刑を命じたのは自分だと述べ、実行した部下の責任を引き受けようとし、それと同時に処刑の正当性を争った。この三つを同時に成り立たせたことが、岡田にとっての「責任を取る」だった。
ここまでを見れば、岡田のいう「法戦」とは、米軍の無差別爆撃を国際法の俎上に載せ、敗者を裁く法廷そのものと戦うことだった――そう理解するのが自然だろう。
大岡昇平の『ながい旅』、そして映画『明日への遺言』も、この法廷闘争を岡田資という人物の中心に据えている。
しかし、岡田は法廷の外に、国際法とは別の物差しを持っていた。遺稿集『毒箭』(岡田資遺稿刊行会、1954年)を開くと、岡田が長年にわたって自らを律してきた、もう一つの「法」である、法華経が浮かび上がってくる。
遺稿を埋める“法華経と仏教思想”
同書は、岡田が獄中で記した随想や手紙などを収めた遺稿集である。前半の随想に続き、後半の第二編には、次のような項目が並んでいる。
第二編
1 法華経奉読の手引(含 五綱教判)
2 実相論(含 十界、一念三千)
3 縁起論
4 人身観
5 仏身観
6 無我論
7 本尊論
8 成仏論(自力・他力)
岡田が第二編で延々と論じているのは、自らの理解にもとづく法華経と仏教思想である。巻末には法華経の用語解説まで収められている。さらに前半の随想にも、その思考を法華経によって捉えようとする記述が繰り返し現れる。例えば、自身の裁判について論じた箇所で、検察側の主張などを記したうえで、岡田はこう書いている。
小乗的の法にこだわる時機ではないかも知れません。
「小乗」とは、もともと仏教内部で教えを区分するために用いられてきた言葉である。重要なのは、岡田が自らの裁判を論じる場面にまで、こうした仏教の語彙を持ち込んでいることだ。
法廷では国際法を論じながら、その国際法そのものを、より大きな仏教的世界観の中から眺めていた。つまり岡田の「法戦」には、二つの「法」が重なっていた。米軍法廷で戦うための国際法と、自らの生と死を律する法華経である。

