「健康食」から解放された平凡な真理

熱しやすくて冷めやすいのでしょうか。いや、あれだけ熱中してやったから、悔いというものが残らない、というのが正直な気持ちですね。狂人のようになって、これでなければ、夜も日も送れないと入れ込んでいたものを、あるとき、さっぱりと忘れ去る。

忘れるというのは、そのとき、すでに、新たにするものが用意されているからですが、こうして私は、目に入ることを特に選択するということもなく、次つぎに挑戦して行ったのです。ずいぶん、道草を食ったものです。

結局、何1つ残ったものはありませんが、しかし、私にとって大切なことは何であるかという確信を得るためには、これらの道草も役に立ったのです。

さんざんあちこち迷った末、好きなものをほどほどに、そうです、腹八分目に食べるという、この平凡な真理に気がついたとき、私はぴたっと迷いからふっきれたかのように、それらの健康食といわれるものから解放されたのです。

自分の舌をペテンにかける料理法

里芋ひとつ煮るにも、私はもともと甘辛い、はっきりした味が好きである。甘いのか辛いのか分からないような味は困るのである。だからと言って、こう言う料理ばかり作っていたのでは、塩分や糖分の摂り過ぎは眼に見えている。

そこで、体にも宜く、自分の味覚も満足出来るような料理法を考え出したのである。それは、煮物の材料を、だしで充分に煮含めておき、仕上げに自分の好みの甘辛汁で、さっと煮からめるのである。

里芋の煮物
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これなら食べた瞬間に旨いと感じるけれども、その割に調味料の摂取は少なくて済む。

里芋、大根などの根菜類や南瓜、茄子といった果菜は、この料理法に限るようだ。

考えようによっては、自分の舌をペテンにかけているようだが、旨くて体によければ、それで宜いではないかと満足している。