お金を貸す際の「作法」

「金権政治」と批判された角栄であるが、カネにまつわる逸話も多い。

あるとき、新潟競馬に父の馬が出ることになり「こんどこそ勝てる」という話だった。

ところが運悪く、勝つはずの馬がレース中にけがをした。父は家に電報で「五、六十円のカネを送れ」と言ってきた。それだけのカネをどうやって作るか、思案のあげく、親類の近藤という材木屋に借りに行くことにした。

この家の娘を、ゆくゆく私の嫁にという話があったくらいで親しい間柄の家である。母は「カネを借りにお前を行かせたくはない」と嘆いていたが私はそう気にもとめず借金に出かけた。

近藤のおやじさんは快くカネを貸してくれたが、そのとき「お前のおやじもなかなか思うようにはいかんネエ」とつぶやいた。この一言が、今も私の耳に残っている。自分の父がほめられたのではなく、その不運を指摘された――という苦い思いが胸にしみた。

現在の私は、ひとにカネを貸してくれと頼まれたとき、できないと思ったらキッパリ断わる。貸すときは、返ってこなくてもよいという気持ちで一言も言わずに貸す。こういう考え方は、父のことを言われたあの瞬間につちかわれたものかも知れない。

政治家になっていなかったら…

角栄は大変な読書好きで、「もし政治家になっていなかったら、私は小説家になっていた」とも語っている。

少年時代の角栄は新潮社の雑誌『日の出』(1932年創刊)が募集した懸賞小説に『三十年一日の如し』と題する小説を投稿。この作品が「佳作の下くらいにはなった」ことで5円の賞金を獲得した、と本人が明かしている。

もっとも、作品は雑誌に掲載されていないため、どんな内容の小説だったのかは分からないのが残念である。