「時空間が固定されている」という世界観はつい最近のもの

もっとも、ニュートン以前には、時空の固定は決して「当たり前」ですらなかった。神や悪魔が実在していると信じられていた時代に、時空が一定で不変だと考えることは難しい。神や悪魔は、時空を捻じ曲げることなど簡単にできるのだ。また、ニュートンが登場するまでは、天空と地上が同じ法則で支配されているという確証さえなかったのだから、天空と地上で「時空が一定で不変」という発想が出てくるわけがない。

実際、惑星の軌道が楕円であることを証明したケプラーは、なぜケプラーの法則が成り立つのかという惑星の運動のメカニズムについては、かなり荒唐無稽なことを言っていたし、地動説を支持して裁判沙汰にまでなったガリレオは、実は「ケプラーの楕円軌道は間違っている(円軌道が正しい)」と信じたまま亡くなった。

我々が高校の物理で学んで当たり前と思っている「時空間が固定されている」という世界観は、ニュートン以降に人類が獲得してきた「信念」なのである。

宇宙全体が同じ速さで動いていると言えるのか

ただし、この時空間の固定には、ある種の気持ちの悪さが伴っている。

もし、宇宙の中のすべてのものが同じ方向に同じ速さで動いているとしても、我々には知る術がない。どうせわからないならそれでかまわないと開き直ることもできるが、宇宙全体が等速で運動しているとすると、その膨大なエネルギーはどこから来たのかとても気になる。

この懸念は長い間無視され、暗黙のうちに「宇宙の中心は止まっている」とされてきた。冷静に考えると、「宇宙は全体として静止しているはず」という仮定はご都合主義的過ぎて炎上必至な気がするが、歴史的にはそうではなかった。