企業は生き残り、リスクは労働者へ

こうした日本の政策を批判する研究者は多い。

国会議事堂
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米デューク大学の文化人類学者アン・アリソン教授は、企業と政府が非正規雇用への移行を促進した結果、「市場のリスクそのものを、企業ではなく労働者へ負わせることになった。」と指摘する。

労働経済学が専門で大妻女子大教授の永瀬伸子教授は、2025年のロイターの取材に対し、1986年に導入された扶養配偶者制度が、賃金上昇圧力を抑えていると指摘。さらに、企業が女性パート労働者を今も、「安い労働力の供給源」とみなしていると語る。

ただ、政策は全面的に失敗したわけではない。

非正規雇用の拡大は、企業にコスト削減と雇用調整の柔軟性を与え、正社員保護は既存の正規労働者を守った。

しかし、扶養制度は、多くの女性を低賃金のパート労働にとどめることになった。社会保障制度も、既存の受益者を保護する一方で、新しい働き方への対応を遅らせた。

企業、正社員など、既存制度の受益者には機能した一方、そのコストを女性、非正規、若年層などに負わせたとも読める。

問題は「政策が失敗したか」だけでなく、「その代償を誰が払ったのか」だ。そして、さらに不可解なのは、その代償を負わされた側が、なぜ政治や制度ではなく、自分自身を責めるようになったのかということだ。

政策の失敗が個人の責任にされる

タイム誌は、2005年7月時点で、当時すでに日本で広がり始めたkakusa shakai(格差社会)を取り上げている。記事内で紹介された「勝ち組/負け組」という言葉が象徴的だ。以下、一部を紹介する。(原文ママ)

10年前、日本人の90%が自分を「中流階級」だと考えていた。しかし、昨年東京大学が実施したアジア全域を対象とした調査によると、現在、日本人の60%が自身の経済的地位を「中流階級以下」と評価している。

「格差社会」に対する国民の意識の高まりは、日本のメディアが「誰が上昇し、誰が下降しているか」に執着していることにも表れている。雑誌であれ、テレビのトーク番組であれ、書店の棚であれ、国内の議論は「勝ち組」と「負け組」という概念に支配されている。

ファッション誌は、貧しい独身女性にならないよう、早く結婚すべきだという美容のアドバイスの記事で溢れている。ニュース誌は、読者の子供たちが「勝者」として成長できるよう、通わせるべき中学校の名前を列挙している。週刊誌は「勝者」たちが何を着て、どこで食事をしているかを紹介し、一方、文芸エッセイでは人生における「勝ち」と「負け」の意味について考察が繰り広げられている。

タイム誌では社会全体の「格差」の問題が、個人の人生の「勝ち負け」という言葉で語られているのが印象的だ。

非正規になったのは「その働き方を選んだ」、貯蓄がないのは「備えなかった」、老後が苦しいのは「若い時に努力しなかった」、生活が苦しいなら「もっと働けばいい」というように、政策や制度によって個人に移されたリスクまでが、今度は本人の選択や努力不足として語り直される。

シドニー大学のヤスコ・クレアモント教授の論文でも同様の「勝ち組/負け組」について言及している。2013年に発表されたものだが示唆に富む内容なので紹介したい。

論文の中で教授は「困窮した日本の若者は、しばしば自分自身を責める」と指摘。しかし、全てが彼らの責任ではなく、政治的に設計された経済構造によって生み出されたと反証する。

日本ではバブル崩壊後、特に1990年代末から2000年代に市場原理を重視する改革が進み、雇用の柔軟化、規制緩和、非正規化が進んだ。教授の研究ではこの時期を、日本の新自由主義化の大きな転換期として扱っている。