「賤ヶ岳の七本槍」は本当に活躍?

そして、そのわずか3日後の4月24日には、北庄城で勝家は妻・お市(信長の妹)とともに自害。「信長没後の二大巨頭」の一人が、あっけなく散ってしまう。

北庄城跡に立つ柴田勝家像
撮影=今泉慎一(風来堂)
北庄城跡に立つ柴田勝家像

この猛攻の際に活躍したのが、秀吉子飼いの若武者だった。加藤清正、福島正則、片桐且元、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、加藤嘉明。俗に「賤ヶ岳の七本槍しちほんやり」と呼ばれる彼らは、のちに豊臣政権を支える重臣となってゆく。

一般的にはこの7人が賤ヶ岳の戦いの功労者として語られることが多いが、戦いの経緯を見る限り、一番の功労者はやはり、桑山重晴ではないだろうか。もっとも、猛攻にビビっただけでなく、逸話通り「戦ったフリ」だけして逃亡したのであれば、完全に「棚からぼたもち」だが。

桑山重晴は一国の大名に出世

七本槍の7人は、この戦いの論功行賞で一律3000石を拝領。そして重晴はというと……彼もまたその功績を評価され、それまで従っていた秀長の居城、竹田城を譲られている。その後も合戦や内政での貢献が認められ、和歌山城の城主となるなど加増。息子に家督を譲る前年の1595(文禄4)年には4万石にまでなっている。

もしあのとき、一晩待たずに即座に撤退していたら? その後、最終的に秀吉方が勝利を得たとしても、重晴の戦国武将としての人生は、賤ヶ岳で終わってしまっていただろう。それがまさかの展開で、出世に次ぐ出世。秀吉も幸運の持ち主だったが、重晴はそれを上回るほど「持っている」男だったのだ。

賤ヶ岳砦にたたずむ兵士の銅像
撮影=今泉慎一(風来堂)
賤ヶ岳砦にたたずむ、戦いの果てに疲労困憊した兵士の銅像
【図表2】戦国の城・5技能採点表「賤ヶ岳砦」
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