「僕にできる商売は、これしかない」

人に会い、商品の価値を伝え続けることができたのは、野呂さんに、自分たちの納豆の味への揺るぎない自信があったからだ。

「きついときに、『経営者なんて辞めたい』と思ったこともありますよ。だけど、僕にできる商売は、これしかないと思ってね」

野呂さんにとって、納豆はただ長く扱ってきた商品ではない。幼い頃から父のつくる納豆を食べ、自らも製造現場に立ち続けてきた。どんな豆を選び、どう発酵させればおいしくなるかを、自分の舌で判断できる。

「いきなり僕が日本酒を飲んで『うまい』と言っても、周りの人が信用して買ってくれるわけではない。でも納豆だったら、自分が本当にいいものを見極められるし、周りも信用してくれる。納豆をつくり続けることで、まだまだ自分のなかで光が見えていたんだね」

値下げはしなかった。代わりに、人に会い、商品の価値を語ることに徹した。本当においしい納豆をつくっている、という強い信念と、自信が、野呂さんを動かし続けた。

値下げしない品質の正体

古都・鎌倉の街並みを描いたパッケージに、「最優秀賞受賞」の文字が躍る「鎌倉小粒」。2022年の全国納豆鑑評会で日本一に選ばれた、野呂食品の自信作だ。

日本一に輝いた「鎌倉小粒」
筆者撮影
日本一に輝いた「鎌倉小粒」。2個入りで税込み270円

器に移してかき混ぜてみると、まず驚くのが糸引きの強さだった。粘りが強いのに糸には透明感がある。添付のタレを加えて、軽く和え、炊きたてのごはんにかける。味には、納豆特有の渋みや臭みは少なく、豆の旨みがしっかりと感じられた。口の中に重く残らず、まろやかな味わいだ。

日本一に輝いた「鎌倉小粒」
筆者撮影
納豆をかき混ぜるほどに、透明感のある強い糸が納豆全体を覆う

鎌倉山納豆の品質を支えているのが、大豆と水、空気、そして、熟練の職人による品質管理だ。大豆は、納豆づくりに適した国産中心のものを職人が選ぶ。

「プリッとまん丸に近くて、水をよく吸い込んでくれる豆がいいですね。蒸した時に皮が柔らかすぎず、とは言え硬くないものを選んでいます」

大豆から納豆に仕上がるまでには3日間かかる。豆を洗って水に浸し、蒸した大豆に納豆菌をかけて発酵させる。最後に職人が味や糸引きを確認し、合格したものだけを出荷する。

納豆の製造工程
筆者撮影
選別や加工の過程にも、目をかけ、手間を惜しまないという

発酵室では、職人が「パズル」を解く

納豆の味を決める要となるのが、発酵の工程だ。

鎌倉山納豆では、一つの発酵室で複数の種類の納豆を同時につくっている。そのため、機械を導入した現在も、温度や時間の管理にはいまも職人の経験が欠かせない。

「たとえば、発酵を始める温度や時間に差をつけながら、3種類ともが商品として良品になるために、頭のなかでパズルのように組み立てるんです」

納豆を蒸す大きな釜
筆者撮影
納豆を蒸す大きな釜

納豆菌が最も活発になるのは38~41度前後だという。しかし、決められた温度を守るだけではない。

「一度32、33度まで下げてから上げたら、どんな変化が起きるかと実験することもあります。常識にとらわれないで、自分で確認しながら、自分の常識を確立していく。それを今でもやり続けています」

機械化によって製造量は増えたが、毎朝6時には職人が集まり、人の舌で味を確かめる。野呂さん自身も製造現場に立つ。

「豆は生き物ですから、この品種ならこの温度、という方程式はあり得ないんですよ」

同じ品種でも、その年の天候や栽培状況によって状態は変わる。前日の出来を確かめながら、毎日温度を微調整する。その積み重ねによって、初めて一定の品質を保つことができる。

「やっぱり技術っていうのは、お金に変えられない。ポロッと教えるもんじゃないですよね。うちのひきわり納豆や、納豆のつくり方全般、よそにはあまりないやり方なんじゃないかな」

たれとからしは一つひとつ手作業で入れる
筆者撮影
たれとからしは一つひとつ手作業で入れる