淀みなく出た人事部長への反論

いま、社長になって「お客さま基点」という標語を掲げる。生命保険の場合、お客の満足度の対象には、相談やアフターサービスなど抽象的な点が大きい。だからこその標語だが、浸透は簡単ではない。社員たちも、学び続け、考え抜いてほしい。

「学而不思則罔、思而不学則殆」(学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆うし)――いくら書に学んでも、自分の身や社会の状況に照らして考えなければ、ぼんやりしたものに終わってしまう。思索のみにふけり、先人たちの業績から学ばないと、独りよがりに終わる。そんな意味で、『論語』にある言葉だ。お客と接する経営者たちの著書を読み込むとともに、「お客さま第一」をどう確立すべきか考え抜く米山流は、この教えに重なる。

1950年6月、山梨県・中道町(現・甲府市)で生まれる。実家は農家で、父母と姉、兄、祖父母の七人家族。夏は暑く、冬は寒さが厳しい地で、少年時代を過ごす。高校は、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)の初代総裁となった小林中氏らを輩出した県立甲府一高。二輪車で疾走する「カミナリ族」だった。

早大政経学部へ進んだが、4年になっても「就職などしない」と言って、就活はしない。だが、夏休みに実家へ帰ると、母に「せっかく大学へ出したのだから、就職してくれ」と嘆かれた。父の発言なら聞き流すが、母の言葉はむげにできない。「それなら、コバチュウの会社へいくよ」と答えた。「コバチュウ」とは、私淑していた小林中氏のことで、富国生命の社長も務めた。

74年4月に入社、横浜市・桜木町にある支社へ配属された。次いで個人保険を統括する本社の業務部、営業本部商品課、融資課へと、1年ごとに異動が続く。生保の実情を幅広く学ばせる、1つの育て方だったのだろう。次回触れるが、この間に「高齢化社会の到来」に着眼した新商品の開発も提案する。融資課には7年いて、外国の政府系機関など向けの円建てローンに取り組んだ。その後が、財務企画課だ。

財務企画では、楽しい思い出もある。小泉今日子の大ファンで、席の後ろに大きなポスターを貼った。すると、人事部長がきて「こんなものを社内で貼って不謹慎だ」と言う。こういうときには、我ながら「すごい」と思うほど、パッ、と反論が浮かぶ。「これは、メーンバンクのポスターだ。何が悪いのか」。人事部長は「そうか」と言って、出ていった。これも、40代の出来事だ。

2010年7月、社長に就任。常務時代に「社長なんて、やるものじゃない」と公言していたが、内定すると「各国の財政出動や新興国の持続的成長で、今後も実質2%くらいの経済成長は見込める。ただ、ここ2年くらい、金融市場も荒れるだろうから、できるだけリスクのある資産は落とし、安全性を重視したい」という言葉が、淀みなく出た。バブル崩壊を機に、「不思不学」を退けて確立した軸は、揺るがない。

社員たちとの車座ミーティングが好きで、毎月、支社を回る。秋口に富山で、70代や80代の女性営業職員らと懇談した。「みなさんは、何で、仕事を続けていられるのですか」と尋ねると、即座に「お客さまを守るためですよ」と返ってきた。お客がいるかぎり働き続けると、てらいも飾りもない口調だ。「お客さま基点」で、心強かった。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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