小売業から学んだ「お客さま基点」

富国生命保険 社長 
米山好映
(よねやま・よしてる) 1950年、山梨県生まれ。74年早稲田大学政治経済学部卒業、富国生命保険入社。98年総合企画室長、2002年取締役、05年常務、09年取締役常務執行役員。10年より現職。

1987年10月19日の月曜日、世界で史上最大の株価暴落が起きた。

「ブラックマンデー」だ。米国の貿易収支の赤字拡大と金利の上昇予測から、ニューヨーク市場で前週末比22.6%も急落。翌日の日経平均の終値も、3836円48銭安の2万1910円08銭となる。

保険料などで集めた資金を、どう株式や債券、不動産などに運用するかを考える財務企画課にいた。社内は騒然とした。ただ、同月から「MOF担」と呼ぶ大蔵省担当の課長となり、新商品の許可や保険制度などの議論が円滑に進むようにする役だから、渦の中にはいない。それでも「どうなるのか」と、心配する。

幸い、各国金融当局の連携が迅速に進み、翌日には2037円32銭も値を戻す。そして、日本ではその後、バブルが膨張を続け、株価は高騰していく。翌年10月、課が室に昇格し、室長となる。今度は、資産運用の総元締め役。堅調な株式相場を前に、腕が鳴った。

ところが、当時の社長が「株式と不動産は、買うな」と、思いもかけない方針を打ち出す。理由は明かさない。誰もが首をかしげ、「ブラックマンデーを経験し、何か思うところがあるのかな。でも、ちょっとの間の我慢だろう」と受け止めた。40代が近づいているときのことだ。

だが、ブレーキは10年も続く。運用計画をつくる身としては、手足を縛られっ放し。それだけではない。バブル期に、運用成績次第で高利回りとなる変額保険が、人気を集めていた。相続税対策になるとの触れ込みもあり、高額の契約が飛び交った。社長は、この扱いも禁じた。

「投資は自己責任で、という文化が、日本にはまだ育っていない。だから、ハイリスク・ハイリターンの個人向け変額預金は、やるな」。こちらは、理由を明確にした。「お客を守る」との理屈だった。

誰もが知っているように、バブルは数年ではじけ、株価は暴落、変額保険も大きな損失を抱えた。家や土地を担保に購入していた人たちが、深い傷を負い、自殺者まで出た。社長の懸念は当たる。富国生命は、バブル崩壊の影響が同業他社よりもずっと浅くて済み、お客の流失もなく、「中堅ながら優良な生命保険」との評価が固まる。