犠牲を払う意欲とトラウマの関係
少なくともこれは、私が研究仲間たちとナイジェリアとの国境に近い、カメルーンのアダマワ州で398人の参加者を募って行った調査の結果だった。そこでは、この種の衝突で何千もの人が亡くなっており、さらに多くの人がこの地域から追い出されている(※5)。私たちの調査からわかったのだが、このような争いが激化したとき、互いのために戦ったり死んだりする農民の意欲は、子供時代の恐ろしい通過儀礼の共有経験と強い相関があった。
彼らは幼い少年の頃、首長の家の近くの神聖な囲い地に連れていかれ、そこに入ると、お面をつけた人物が暗がりから現れて威嚇する。少年たちはぞっとして逃げ出そうとするが、通過儀礼の指導者たちが退路をふさぐ。恐怖で病的なまでの興奮状態になったこの経験は、けっして忘れることができなかった。彼らは身体的に害されることはまったくなかった(囲い地から逃げ出そうとして自ら負ってしまった怪我は除く)が、心理的な衝撃は恒久的なものとなった。
台湾軍の過酷な訓練の実態
もっとも、極端な通過儀礼は土着の社会や小規模社会の戦士に特有ではない。たとえば、1997~2006年に、「AUC」と呼ばれるコロンビアの極右の麻薬密売グループはたいてい、新規加入者に、捕虜の拷問や手足の切断や殺害の儀式化された行為をすることを強要し、切断した体の一部を常時携帯することを求めた(※6)。同じような手は、シエラレオネの革命統一戦線も使った。この反政府武装集団は、新参者を儀式化した殺人に参加させた。そこでは、親族やコミュニティのメンバーの殺害が行われることが多かった(※7)。
通常の軍隊さえも、訓練の一環として新兵に身体的または心理的拷問を加えることがある。たとえば、台湾の水陸両用偵察部隊に志願した兵士は、一連の極端な試練を経なければならない。その1つでは、全裸に近い姿で尖った珊瑚の上を50メートル匍匐前進し、しかも途中で痛みを最大化するような運動をさせられる(※8)。その間、参加者の開いた傷口には塩水が浴びせられ、さらに痛みが募る。ミスを犯したり手抜きをしたりした参加者はスタートラインに戻され、苦痛に満ちた試練を最初からやり直す羽目になる。
こうしてさまざまな場所で手に入った証拠や、それ以外の多くの証拠のおかげで、苦難の共有を含む儀式と、集団の結束と、戦闘での勇敢な行為との結びつきは、立証されて久しい。だが、心理的にはいったいどのような仕組みになっているのか? 苦痛に満ちた試練の何が、これほど強力な絆を生み出し、人々は互いのために喜んで戦ったり死んだりするようになるのか? その答えは、「アイデンティティ融合」という集団内の注目するべき連帯の形態にあるらしい。

