トゲを尿道に差し込み、血を噴出させる
苦難を共有すると、戦闘で勇敢な行為を見せる動機付けとなる、きわめて強力な絆が生まれることを、人間は昔から知っていた。戦士の集団は何千年にもわたってこの知識を役立て、新兵に辛い通過儀礼を課してきた。
パプアニューギニアのセピック川流域に暮らすカニガラ人の男性は、一生傷跡が残るほど広範に肌を刃物で切り裂く(※1)。パプアニューギニアの他の地域では、少年や未婚の男性は、鼻中隔に穴を開けることから、植物の棘のある部分を尿道に差し込んで引き抜き、血を噴出させることまで、同様に恐ろしいさまざまな肉体的責め苦を強要される(※2)。
そしてもちろん、これはメラネシアに限ったことではない。オーストラリア大陸の北のアラフラ海や珊瑚海全域で、土着の集団は、堪え難いほどの苦痛を伴い、ペニスの外見を完全に変えてしまう割礼の方法を生み出した。もっとも、そうした儀式のすべてが生殖器の切除に的を絞っているわけではない。オーストラリアからさらに離れた太平洋の向こう側、北アメリカの大平原の諸文化は、皮膚の下まで深く差し込んだフックで体につなげたロープの端に体重をかけて太陽の踊り(サンダンス)を行う。
一方、アマゾン川流域の人々は今日でもなお、怒った弾丸アリたちでいっぱいの手袋をつけるという通過儀礼を行う。弾丸アリはその名のとおり、たった1匹に刺されただけで、弾丸が当たったほど痛く、その痛みは何時間も続く。このような例を挙げればきりがない(※3)。
激痛を伴う儀式が世界中に残るワケ
人類学者たちが示したように、世界でも特に好戦的な社会も、とりわけ大きな苦痛を伴う通過儀礼を持っており、そうした儀礼ではたいてい、経験した苦難の証しとなる、けっして消えない傷跡が残る(※4)。このような激痛を伴う苦難の一般的な目的は、軍事的な結束をもたらすことであるように思える。苦痛を伴う儀式の共有を通して生み出された絆のおかげで、参加者は困難に直面したときには助け合い、必要とあれば、通過儀礼の仲間のために戦ったり死んだりさえする意欲が増す。
私たちは、その証拠を世界中で見つけた。一例を挙げよう。私はパプアニューギニアの通過儀礼について行った調査に基づき、研究仲間たちとともに西アフリカにおける同様の儀式的な試練の効果に注意を向けた。そこでは、牧畜を行う者と農業を営む者との間で、土地の利用権を巡る暴力的な衝突が頻繁に起こるようになっている。人口圧力が土地と水の利用権を巡る激しい競争を招いており、気候変動のせいでさらに緊張が高まっている。アフリカの一部(特に、マリやナイジェリアのような国々)では、イスラム教武装勢力がそうした分断にしきりにつけ込んでいる。
だが、局地的な争いが手に負えなくなるのは、どこか特定の地域の物質的な状況のせいというよりも、人々を部族のアイデンティティや先祖代々の土地と結びつけている種類の絆、特に、集団が結束するうえで通過儀礼が果たしている役割のせいであるように見える。

