乳兄弟の「紐帯」に、山崎の合戦の「実功」が加わった

なぜ恒興にそれができたのか。馬部隆弘「山崎の合戦と池田恒興」(『中京大学文学部紀要』60巻2号、2026年)が明らかにしたように、山崎の実働主力は高山右近・中川清秀ら摂津衆であり、それを束ねていたのが恒興だった。秀吉本隊はむしろ遅参している。

光秀討伐の功績は秀吉の独占物ではなく、恒興との共同保有だったのである。乳兄弟という紐帯に山崎の実功が加わった時、恒興は一段下の重臣から織田政権の中枢へと一気に跳躍した。実際、山崎の合戦での功績は重視されていたようで、恒興の旗下に置かれていた高山右近にも、新たな所領が与えられている。

清洲会議の真の勝者を一人挙げるとすれば、秀吉ではなく恒興だったかもしれない。もっともその恒興は、2年後の小牧・長久手の戦いで秀吉方として戦い、命を落とす。清洲で手にした果実を、食べ切る時間がなかった。だが池田家はその後も大名として生き残り、恒興の次男・輝政は姫路藩主として大を成した。清洲の跳躍は、確かに次の世代へと受け継がれたのである。

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