三法師が跡を継ぐのは既定路線

とはあるが、これを裏付ける同時代史料は存在しない。そもそも『川角太閤記』は秀吉の死後に成立した軍記物であり、太閤の出世物語を劇的に演出するために書かれた性格の書物だ。あの「膝の上でうなずくだけ」という場面が、いつの間にか「颯爽たる登場と一同の平伏」に肥大化していったのは、後世の脚色が層を重ねた結果にすぎない。

では、創作を剥がした先に何が残るか。あの日、清洲で、男たちは本当は何を争っていたのか?

そもそもよく誤解されるが、「信長の後継者を決める」ことは、この会議の議題ではなかった。