厳しくて強い父の教え
入社からちょうど丸1年が経つ2002年8月末日、佐藤さんは日産自動車を退職。得意先との会食からわずか1カ月後だった。
父親は子どもの頃から厳しかったが、佐藤さんの退職をとがめることはなかった。
「父は『社会に出たら、テメエの力だけで生きていけ』とよく言っていました。いま立っているのは、自分の選択が重なって辿り着いた場所。でも、それをみんな忘れて、文句を言ったり世の中のせいにしたりする。『お前は絶対そういう人間にはなるな』って」
だからこそ、佐藤さんは、自ら選んで入った会社の愚痴を言いながら働き続けるのは避けたかったのだろう。
佐藤さんの父親は、フリーアナウンサー・古舘伊知郎さんのマネジメントを担う古舘プロジェクトの会長(当時は社長)の佐藤孝さん。古舘さんが独立するタイミングで一緒に会社を立ち上げ、苦楽をともにしてきた人物だ。
佐藤さんは、父から言われた「佐藤商店であれ」という言葉を大切にしている。
「たとえ企業に入るとしても、いつもそういうマインドでいろと言われていました。なぜ自分がそこにいて、何のために働くか、常に考えて行動しろって」
年収が半分になっても働き続けたが…
次の仕事をどうするか決めていなかった佐藤さん。父親の会社にフリーランスとして所属していたテレビディレクターの後藤和夫さんのもとで働き始めた。秘境やジャングルなどへ出向いたドキュメンタリー番組の制作に携わることになると、大学のジャーナリズム学部での学びも役に立った。
2002年の冬にパレスチナへ飛び、自爆攻撃で弟を亡くした青年が難民キャンプの少年のために壁画を完成させるドキュメンタリーを撮影した。この番組は、2003年6月にテレビ朝日系列で全国放送されている。
日産自動車時代と比べて半分になった年収も、映像業界でがむしゃらに働いているうちに同程度まで回復。誰もが知る報道番組にも携わった。
しかし、2005年のある日、佐藤さんは仕事から逃げ出した。機材や小道具を積んだ制作車を現場へ届けるのに20分遅刻した後、文字通りそのまま姿を消したという。
「自分が本当は何がしたいのか分からなくなっていました。それに、昔は人に相談できない性格で。誰にも頼らず強くいなきゃという気持ちが大きすぎて、つぶれてしまいました」
罪悪感にさいなまれる佐藤さんに「終わったことは仕方ない。とりあえず遊びにこいよ」と声をかけてくれた先輩がいた。
先輩とはよく食事をし、ときには佐藤さんが料理を振る舞ったり見様見真似で魚を捌いたりした。「結構いい顔しながらやってるよね。味付けもいいしな」という先輩の言葉がうれしくて、先輩の知り合いの飲食店でアルバイトを開始。こうして佐藤さんは飲食業界に関わり始めた。
