“無理すぎる環境”の仮店舗、「悪い報告を聞くだけ」の日々

野方が使えなくなり、それでも店を続けようとした。“ぜひ東京で”と声をかけてくれた人が「申し訳ない」と、急遽探してくれた中野の物件へ移ることになった。

しかし、再起をかけたその場所は簡単な物件ではなかった。

場所は飲み屋街。しかも立ち飲み屋の物件で、椅子もテーブルもない。どうやっても4席しか作れず、お客さんが詰めて入るような狭さだった。建物も古く、非常に暑い。エアコンは家庭用のものが1台だけだった。真夏で厨房は灼熱の暑さだった。

なんとかやりくりしたものの、「どう考えても無理でした。これ以上やると、逆に大変なことになると思いました」。

このまま無理やり続けても、来てくれたお客さんも気持ちよく過ごせない。これは一回辞めるしかない、翼さんは決意した。こうして、お店は4カ月で撤退。再び店を失った。

一方その頃、江里香さんは幼い子供二人を抱えていた。保育園も見つからない。現場に立つこともできない。

「何もできなかったんです。家で子供の面倒を見ながら悪い報告を聞くだけでした」

声が少し震える。

「もがけばもがくほど深みにハマるんです。完全に泥沼でした」

当時は「泥沼だった」という。
撮影=プレジデントオンライン編集部
当時は「泥沼だった」という。

アメリカの店舗が立ち行かず、潰えた夢

さらに追い打ちがかかる。アメリカの件だった。東京での店づくりと並行して、ニュージャージーでも店がオープンした。

「東京をしっかり軌道に乗せたら、いずれ家族でアメリカへ移住しよう」

そんな未来を、本気で思い描いていた。実際、翼さんは現地にも何度も足を運び、日本とアメリカを行き来する日々を送っていた。

ところが、その夢は長く続かなかった。現地に任せていた運営が少しずつ歯車を狂わせていく。

東京では野方店の突然の営業停止、中野への移転・閉店と、目の前の火消しに追われる毎日。その間、海の向こうで起きている問題に十分な時間を割くことができなかった。

「東京を整えてからアメリカへ」。そう思っていた矢先だった。

ニュージャージーの店は半年ほどで立ち行かなくなった。移住の夢は消えた。店も失った。残ったのは借金だった。

この話になると、翼さんは少し視線を落とし、多くを語ろうとはしない。隣に座る江里香さんも、珍しく言葉を選んでいた。

「詳しくは言えないんですけど……」

少し間を置いてから、静かに続けた。

「言ってみれば、うまく使われてしまったのかもしれません」

その一言だけで十分だった。それ以上を語らない二人の表情が、あの出来事の重さを物語っていた。

「もう終わったことなので」

そう言って江里香さんは小さく笑った。普段の明るい笑顔とは少し違う、その控えめな笑みから、当時の苦しさが伝わってきた。

江里香さんの控えめな笑みから、当時の苦しさが伝わってきた。
撮影=プレジデントオンライン編集部
江里香さんの控えめな笑みから、当時の苦しさが伝わってきた。