どんな軍隊もたどり着けない立地
その山の近くでは方位磁石が機能せず、鳥もその上空を飛ばないほどであった。マグニトゴルスクはこの「磁気を帯びた山」のそばに建設された社会主義者の計画都市であるが、またしても専門知識を輸入しなければならなかった(それはどこの製鉄所も同じで、さらにいえば、スターリンの有名なトラクター工場建設の場合もそうであった)。
建物や道路はロシア人ではなくドイツ人の建築家が設計し、製鉄所はアメリカ中西部インディアナ州ゲーリーにある当時世界最大の製鉄会社USスチールの工場を手本にして、アメリカのエンジニアが建設した。
しかしながら、マグニトゴルスクは鉄資源が極めて豊かである一方で、どこから行くにも遠すぎる点が問題となった。もっとも近い港から数千キロメートル離れていただけではない。もっとも近い炭田からも約2000キロメートル離れていたのである。
スターリンにとっては、これも魅力のひとつであった。どんな軍隊が侵攻してきても、製鉄所まではたどり着けないだろう。とはいえ、数年後にソビエトの計画立案者が巨大製鉄所を建設するための次の候補地を探していたとき、彼らの目はウクライナの東部へ引きつけられた。
そこでは鉄、石炭、水がうまく揃い、黒海への交通の便もよい。そこでマグニトゴルスク冶金コンビナートの設計図を利用して、新しいアゾフスタリ製鉄所が建設された。
ソビエトの伝説となったアゾフスタリ
アゾフスタリ製鉄所は、大草原に位置するマグニトゴルスク製鉄所とともに、やがてソビエトの伝説となる。ヒトラーにたてついたのち、数十年にわたり経済で極めて重要な役目を果たした。
ソビエト連邦と、さらにいえばヨーロッパの鉄道網の大半は、ここで製造された鋼製の線路を使って敷設された。ほかの国々が小規模な製鉄所をつくり、特定の製品や機能に特化する一方で、アゾフスタリ製鉄所はひたすら拡大し続けた。
1990年代になると、石炭と鋼鉄を独占しているウクライナ東部は、国全体の工業生産高の半分以上を担うようになった。
ベルリンの壁が崩壊して共産主義が終焉を迎えると、ウクライナの資源は隣接するロシアの工業用生地(工業用に特化された生地で、一般的な生地よりも厚み、張り、耐久性があり、用途に合わせて特殊な加工が施されている)と同様に引く手あまたとなった。
独立したウクライナにはすぐに自国の実業家が誕生した。そのなかでもっとも際立っていたのが、マリウポリの両端にあるアゾフスタリ製鉄所とイリイチ製鉄所をはじめ、多くの製鉄所を買収したウクライナの富豪、リナト・アフメトフである。

