ドネツクの起源はウェールズの実業

その助けは、あごひげを蓄えたイギリス南西部の南ウェールズの実業家ジョン・ジェイムズ・ヒューズという形でもたらされた。ヒューズの父親はかつてウェールズの都市マーサー・ティドビルの製鉄所で技師長を務めていたことがあるが、ヒューズはこのときロンドンのミルウォール製鉄所の管理者になっていた。

この製鉄所はイギリス最大の製鉄所のひとつであり、イギリス海軍の軍艦を保護(装甲)するためのすべての鉄を供給していた。ヒューズは1870年に黒海につながるアゾフ海に向かって出帆し、北方のドンバスを目指した。

それから数年のうちにヒューズの製鉄所は稼働を始め、その後の数十年間で、高炉を持つこの総合施設はロシア帝国最大の製鉄所となる。

すぐ近くに建設した居住地はユーゾフカ(ヒューズ=オフカ)の名で知られるようになった。小さな町はドネツクに改名したのちに都市へと発展し、現在ではウクライナの工業の中心地となっている。

一国が工業の基盤をつくる取り組みの中で海外から知識や設備を輸入するのは、これが最初でも最後でもない。人類は絶えずそうし続けている。

17世紀イギリスのガラス工業家ジョージ・レイブンズクロフトが透明なクリスタルガラスのつくり方を編み出すことができたのは、イタリアのベネチアから密かに連れてきた職人の助けがあったからである。

19世紀末には、スコットランド生まれの実業家アンドリュー・カーネギーがベッセマー転炉をアメリカに輸入したことで、鉄鋼業における彼の支配的地位が確固たるものになった。

アンドリュー・カーネギー
アメリカで鉄鋼王とも称された「アンドリュー・カーネギー」(画像=コロラド大学ボルダー校図書館/PD US/Wikimedia Commons

2000年代初頭に、中国企業がドイツのドルトムントにある多国籍企業ティッセンクルップの製鉄所を買収し、揚子江の下流にある土地に工場ごと移転したときには、誰もが眉をひそめた。

しかし、それは人類が初めて鉄のつくり方を発見して以来、ロシアやアメリカに限らずたいていの国々がやってきたことであり、中国はそれをただまねたに過ぎない。つまり、知識を輸入し、それを基盤にして帝国を築くというやり方である。

単一で世界最大の製鉄所

実際のところ、ドイツの工場が移築されたこの場所は、揚子江沿岸に拠点を置く中華人民共和国の鉄鋼業者、江蘇沙鋼集団有限公司の主要拠点となり、現在では単一で世界最大の製鉄所になっている。

13基ある高炉(この数字に関していえば、現在アメリカにある製鉄所では、一般的な高炉の数は4基である)は、業界大手のティッセンクルップによる鋼鉄の全生産高と比較すると、その2倍以上の生産力を持つ。

中国はここ数十年の間に、アメリカが20世紀初頭から製造してきたすべての鋼鉄を超える量の鋼鉄を製造している。中国が鋼鉄の生産高で世界の頂点に上り詰めたという事実は、物質世界のどこかの話とさほど変わらないほぼ完全独占の物語である。

江蘇沙鋼集団有限公司の製造施設の規模は、過去に世界のどの場所で建設された施設とも異なっており、同社の拠点は鋼鉄の街になっている。

中国が台頭する以前に、おそらくその規模に近い、あるいは近かったのは、ロシアのヨーロッパとアジアを分けるウラル山脈南東部のマグニトゴルスク製鉄所である。1932年から稼働している八基の高炉を備えた巨大コンビナートは、ヨシフ・スターリンの発案によるものだ。

ウラル山脈で鉄鉱石の豊かな山が発見されたため、スターリンは、その東部に位置する極寒の吹きさらしの大草原地帯にまったく新しい工業都市を建設するようにと指令を出した。