他のアニメ映画との決定的な違い

映画のサブタイトルにあるように、この作品では「ひみつ」がある。パンフレットでは、「本ページは、物語の結末について触れているため、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めいたします」と書かれている。いくら「ネタバレ」上等だとしても、その一つひとつについて、ここで明らかにしてはなるまい。

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』劇場用パンフレット
撮影=プレジデントオンライン編集部
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』劇場用パンフレット

ここで重要なのは、その「ひみつ」が、どれも、何らかの「教訓」めいた深みを持っていないところにある。急いで付け加えなければならないのは、その深みのなさが、決して欠点ではないところである。というよりも逆に、その「浅さ」こそ、この作品の魅力たりえているところである。これが、他のアニメ映画との決定的な違いである。

たとえば、「クレヨンしんちゃん」や「プリキュア」といった、主に子どもをターゲットにした作品の映画化を、私は毎年見てきた。娘とともに暮らせて良かった点のひとつとして、とりわけ「プリキュア」を挙げるほど、いくつもの「教訓」を与えてもらってきた。

深いメッセージ性も、巧みな伏線回収もない

ジェンダーにせよ、人間関係にせよ、「プリキュア」の持つ世界観は、私にとって少なからぬ影響をもたらしたし、「クレヨンしんちゃん」を放送開始から30年近く追いかけてこられたのは、私の人生の貴重な財産である。

対する「ちいかわ」は、「なんか小さくてかわいいやつ」が、たくさん、いや、そればかり出てくるだけである。映画でいえば、「セイレーン」や「島二郎」もまた、性格や行動以前に、その「かわいい」姿が強い印象を残す。

なるほど、「ひみつ」が物語を駆動しているのは確かであり、「ちいかわ」を知らない人たちにとっては、謎解きに引っ張られる側面は強いのかもしれない。それでも、「とんでもない」(上田慎一郎監督)とは、私には思えなかった。

それよりも、キャラクターたちが戯れる姿そのものが、「ちいかわ」の魅力なのではないか。「ちいかわ」の魅力であり、そして、日本人にとっての「アニメ」の位置づけに通じるのではないか。