1979年から2004年まで刊行された月刊誌『噂の眞相』は、政治家や芸能人らのスキャンダルを報じ、発行部数20万部に上った。編集長の岡留安則(故人)は、恫喝や訴訟に直面しても、周囲が驚くほど動じなかったという。『スキャンダル雑誌のつくりかた 「噂の眞相」人名録』(講談社)の著者で、執筆陣の一人だった評論家の佐高信さんが、スタッフらの証言から、型破りな編集長の仕事ぶりをたどる――。

電話で話しながら原稿を書いていた

1979年に創刊し、2004年の休刊まで25年、四半世紀の間、大物政治家、大企業のトップ、芸能界も電通もヤクザもメッタ斬りして、20万部を売り上げた伝説のスキャンダル雑誌『噂の眞相』。創刊時で編集長の岡留安則の仕事ぶりには、まず常人離れしたところがあった。

同誌の執筆陣の1人でコラムニストの中森明夫によれば、岡留は誰かと電話でしゃべりながら、手元では同時に原稿を書いていたという。文章は殴り書きで、一読しただけではとても読めない。しかし筋は通っている。ゲラに赤字を入れていくうちに、誌面に載る原稿へ仕上がっていく。速く書けるから鋭いとは限らないが、編集長が自分で誌面を埋める力を持っていたことは大きい。

ただし、何でも自分で決める独裁型ではない。むしろ逆だった。

次期検事総長と言われていた東京高検検事長の女性問題をスクープ
写真提供=共同通信社
次期検事総長と言われていた東京高検検事長の女性問題をスクープ。全国紙が『噂の眞相』を引用する形で報道し、高検検事長は辞任に追い込まれた。

よい編集長の条件は「君臨すれども統治せず」

中森が持ち出したのが、筑紫哲也の口癖だったという「君臨すれども統治せず」である。良い編集長の条件はこれかもしれない、と。編集長が細かいことまでネチネチ言い始めると、雑誌はダメになる。基本は副編集長やデスク、現場に任せる。すると編集者も記者も伸び伸び仕事ができる。

岡留はまさにそういう人間だった。『噂眞』(うわしん=『噂の眞相』の略称)の編集方針ははっきりしている。しかし日々の仕事まで管理しない。何を狙う雑誌なのかという大枠だけを共有し、あとは現場が走る。

会社経営の教科書に書けば「権限委譲」とでもなるのだろうが、岡留の場合はもっと雑だった。前出の中森明夫は筑紫哲也(朝日新聞、「朝日ジャーナル」編集長、テレビキャスター)、田原総一朗(ジャーナリスト、テレビキャスター)、花田紀凱(元『週刊文春』編集長、『月刊hanada』編集長)などメディアで異彩を放つリーダーたちと岡留に共通するものとして「いい加減」「アバウト」を挙げている。

襲撃された夜も朝まで飲んだ

その「いい加減さ」を極端に示す事件がある。

2000年6月、右翼活動家が『噂眞』編集部を襲撃した。岡留は額を負傷し、太ももから大量に出血した。副編集長の川端幹人も肋骨を折った。

ニュースを見て駆けつけた中森によれば、編集部は血まみれだった。ところが病院から戻った岡留は新宿の居酒屋へ行き、包帯姿のまま朝まで飲んだ。

朝刊に事件が載ると「出てる出てる」と喜び、「今日は出血大サービスだ」と周囲に酒を奢ったという。私は大ケガの直後に酒を飲むことに驚いたが、中森は「勇敢なんかじゃない。鈍感なんです」と言った。

この鈍感力は、リーダーとして必ずしも悪いものではない。もちろん安全管理を軽視していいわけではないが、何かが起きるたびにトップが動揺していれば、現場も萎縮する。岡留は良くも悪くも、何が起きても動じなかった。