トップと現場が決めることを分ける
岡留流を現代企業に翻訳するなら、「ルールを減らせ」ではなく「トップが決めることと現場が決めることを分けろ」ということだろう。トップは方向を決め、人選を信じ、危機のときに腹を据える。細かい仕事は、詳しい人間に任せる。
管理を減らすには、何でも自由にすればいいわけではない。『噂眞』には「権威を恐れずに書く」という強い共通了解があった。目的が共有されているから、手段を現場へ任せられる。トップが細部を手放すには、組織の軸を明確にする必要がある。
田原総一朗の例は象徴的である。誌面では批判される。それでも襲撃事件が起きれば励ます会へ来る。意見の対立と人間関係を切り分けられるから、ネットワークが広がる。組織が「味方か敵か」の二択になると、こういう関係は作れない。
岡留の組織には、優秀な人間を囲い込む発想も薄かった。編集者や書き手はそれぞれ外に仕事を持ち、思想も違う。それでも『噂眞』という場では一緒に仕事をする。人を会社色に染めるのではなく、異質なまま使う組織だった。
失敗をゼロにする仕組み・新しいものを生む仕組み
創造的な組織では、失敗をゼロにする仕組みと新しいものを生む仕組みがしばしば衝突する。岡留は明らかに後者へ振り切った人だった。その極端さを反面教師も含めて読むと、管理過多になりがちな現代組織への示唆が見えてくる。
岡留は「社員を管理しない」だけでなく、書き手にも細かく口を出さなかった。私の長期連載も基本的に任された。トップが判断を手放すと、当然失敗や訴訟の可能性は増える。それでも自由を取った。
岡留のマネジメントは、トップの器量に大きく依存する危うい仕組みでもあった。誰に任せるかを間違えれば崩れるし、責任を取らない放任にもなり得る。だから「任せる」と「放置する」は区別しなければならない。
「君臨すれども統治せず」は、トップが何もしないという意味ではない。方向を示し、最終的な責任を引き受け、危機のときに動揺しない。そのうえで、日々の判断を現場へ返す。
岡留の極端な例から余計な部分を取り除けば、専門性の高い人材を抱える組織に共通する原則が見える。詳しい人に任せ、トップは目的と責任に集中する。それが創造性を殺さない管理なのだろう。
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