リーダーのアバウトさが雑誌の活力を生む
管理を増やせば組織が強くなるとは限らない。ルールが増えるほど現場は上司の顔色を見て、失敗しない企画だけを選ぶようになる。雑誌のように未知のものを作る組織では、それが致命傷になる。
優れたリーダーは、部下よりすべてを知っている必要はない。現場の方が詳しい領域を認め、判断を委ねることができるか。岡留のアバウトさは、権限委譲という言葉よりずっと生々しい。
ナンシー関の起用でも、自分の無知を隠さなかった。「それは誰だ」。しかし、知らないからといって却下せず、デスクと副編集長が面白いと言うなら試す。最初は小さな枠を渡し、結果を見て育てる。
もちろん欠点もある。安全管理、健康管理、コンプライアンスという観点から見れば、岡留流をそのまま現代企業に持ち込めるはずがない。右翼襲撃の夜も同じだった。本人は病院に行くことさえ嫌がり、周囲が苦労して連れて行った。縫合した後は朝まで酒を飲む。防犯ビデオの映像を警察に押収される前にウェブへ流せと指示したという。被害者になった瞬間にも「どう伝えるか」を考えていた。
「編集者は訴えられて一人前」
神林広恵が初めて訴えられたときには「編集者は訴えられて一人前」。自分たちが東京地検特捜部に起訴されたときには「公訴記念で飲みに行くか」。危機を大事件として演出せず、日常へ引き戻す。
この姿勢は現場に心理的な余裕を与えた。神林は、自分が被告になっても卑屈にならずに済んだのは岡留のノーテンキさと懐の深さのおかげだと語っている。上司がパニックにならないことの効果は大きい。
さらに面白いのは、徹底抗戦だけを美徳にしないことだ。裁判が面倒なら謝ればいい。「謝ってまた書けばいい」。目的はトップのメンツを守ることではなく、次号を出し続けることである。
芸能界の大物に呼び出され、暴力団幹部や右翼幹部が同席して恫喝されても、翌日には別の記事を出そうとする。副編集長が「まずいですよね」と確認しても「別件だから大丈夫だろ」。リスク管理の教科書としては落第でも、現場の萎縮を防ぐ効果はあった。
岡留流マネジメントを具体的に見ると、スタッフの証言は驚くほど一致している。危ないことが起きても本人は気負わない。抗議への対応を相談しても「大丈夫だよ〜」。そのアバウトな一言で、逆に周囲が安心したという。
