悪口を書かれた人が励ます会に駆けつける

襲撃後、岡留を励ます会が開かれた。そこに田原総一朗がやってきた。田原は『噂眞』で何度も悪口を書かれていた。それでも暴力によって言論を封じることには反対し、いち早く会へ駆けつけて大演説をしたのだ。

私は田原の「言論の自由への一念」はすごいと思う。ここにも岡留の人間関係が表れている。誌面で批判したからといって、人間そのものを永久に敵にするわけではない。

岡留自身、主義主張の違う人間とも自然に付き合えた。民族派右翼の大物活動家で朝日新聞社内で拳銃自決した野村秋介や、鈴木邦男などとも、昵懇だった。イデオロギーより人間を見る。その柔らかさが、多種多様な書き手を雑誌に引き寄せた。

「それは誰だ」…自分が知らなくてもゴーサイン

消しゴム版画家・コラムニストとして人気を博したナンシー関の起用にまつわるエピソードも象徴的だ。デスクの神林広恵が若い書き手としてナンシーを推薦すると、岡留は「それは誰だ」と言った。自分は知らない。それでも現場が「おもしろい」と言えば、過去の原稿を見てゴーサインを出す。

最初のスペースは1ページの3分の1。消しゴム版画も付いていなかった。その小さな枠から、後にテレビ批評を代表する書き手が育った。

トップがすべてを知っている必要はない。知らないことを「知らない」と言い、現場の目を信用する。結果が出れば広げる。岡留流の「君臨すれども統治せず」は、そこにも表れている。岡留は何を守る雑誌なのかという大枠は明確にしたが、そこから先は現場に任せた。トップが細部を握らないことで、ナンシー関のような自分の知らない才能も入ってくる。異質な人材を入れるには、トップ自身の「知らない」を許容する必要がある。

『噂の眞相』休刊号の表紙。休刊時に20万部以上を売り上げていたという。
『噂の眞相』休刊号の表紙。休刊時に20万部以上を売り上げていたという。

『噂眞』休刊時には20万部以上を売り上げていたという。経営的に直ちに行き詰まっていたわけではない。それでも岡留は雑誌を畳んだ。後継編集長をめぐる話も含め、拙著『スキャンダル雑誌のつくりかた 「噂の眞相」人名録』では、彼の編集術と人間関係をさまざまな証言から掘り起こした。

組織を細かく管理することがリーダーシップではない。何を守るかだけは明確にし、人に任せる。岡留安則という「いい加減」な編集長から、いまの会社組織が学べることは意外に多いのではないか。

巨大組織ではない編集部が20万もの読者を持っていた。岡留の「君臨すれども統治せず」は、創造的な組織でトップがどこまで手を離せるかという問題として、今でも考える価値がある。