トラブルを未然に止める「中堅層」が消えた

第三に、人材の問題である。私はこれが最も深刻だと感じている。

かつてのテレビ局には、若手とベテランの間をつなぐ中堅層が厚く存在していた。出演者ともスタッフとも率直に話ができ、問題が起きそうな時には自然に間に入って場を収める人たちである。普段は現場をぶらぶらしているだけに見える。だが、いざという時には現場の空気を読みながら各所を調整し、トラブルが表面化する前に処理してしまう。そういう人たちが確かにいた。

番組制作において起きるトラブルの多くは、制度ではなく人によって未然に防がれていた。ところが、その人たちが十分に機能しにくい環境へと、制作現場そのものが変化してしまった。現在では、限られた人数で多くの業務を回さなければならない現場も少なくない。

そんな状況下では、本来であれば時間をかけて行われていた調整や対話が後回しになりやすい。

出演者保護の仕組みが存在しないわけではない。むしろ制度は昔より整っている。だが、制度を実際に機能させるのは人である。その肝心の「ヒト」が弱くなっているのではないか

そこに、現在のテレビ業界の課題を感じる。

だから私は今回の問題を、フジテレビ固有の問題だとは考えていない。

実際、2024年の『セクシー田中さん』をめぐる問題においても、テレビ局と原作者の間のコミュニケーション不足が大きな論点となった。もちろん、今回とは事案そのものは異なるが、関係者の間で十分な意思疎通が図られず、その結果として問題が表面化したという点では通底している。

二年前に起きたフジテレビ問題は、中居正広氏をめぐる問題を契機として、フジテレビという組織特有の体質やガバナンスが厳しく問われた事案だった。今回は性質が異なる。同じような条件が重なれば、日テレでも、TBSでも、テレビ朝日でも、テレビ東京でも起こり得る。問題の本質が業界全体の構造変化にあるからである。

今回はたまたま表面化したのがフジテレビだったにすぎない。だから私は、この問題をフジテレビ問題としてではなく、テレビ業界の問題として見ている。

スタジオでの撮影カメラ
写真=iStock.com/ppengcreative
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フジテレビだけの問題なのか

テレビの凋落というと、多くの人は視聴率の低下や広告収入の減少を思い浮かべるだろう。確かにそれも事実である。

私が今回の騒動を通じて感じたのは、それとは別の凋落である。

出演者と向き合う力の低下であり、現場を支える組織能力の衰えであり、「自分たちが預かっている人は自分たちで守る」というプロフェッショナルとしての矜持の後退である。私は今回の騒動を見ながら、最も気になったのがプロデューサーの役割だった。

出演者同士の認識にずれが生じていたのであれば、誰かが間に入るべきだったのではないか。

橋本氏の話を聞く人はいたのか。

佐藤氏の話を聞く人はいたのか。

双方の認識の違いを整理しようとした人はいたのか。