出演者との問題を「事務所任せ」にしなかった
視聴者は、自分たちが住む日常の安全な場所から見知らぬ危険な環境に飛び込んでいく出演者の行動と心意気を見たいのだ。だからこそ、その姿に共感し、勇敢だと感じる。そんなことを根気よく説明しながら、最終的には本人が納得して判断できる状態を作る。
それぞれ方法は違うが、共通していることはただ一つ、「出演者との問題を誰かに丸投げしない」ということである。
私が局員だった頃、プロデューサーの役割は単に予算を管理することではなかった。出演者それぞれの特性を熟知し、事務所との関係を築き、演出家や脚本家、スタッフとの間に入りながら作品全体を回す存在だった。
いわば、番組関係者が衛星なら、プロデューサーは恒星だった。人も情報も最終的にはその周囲に集まっていた。だから出演者に異変があればすぐに気付いた。楽屋での表情や会話の変化、演出家への反応の微妙な違和感など、現場経験の長いプロデューサーは見逃さなかったのである。
ところが現在はその状況が大きく変化している。私が若い頃のテレビ局は、良くも悪くも「番組を作る会社」だった。制作局は局の中心であり、テレビ局に入る新入社員は皆、制作局に配属されたいと願った。
ところが、私が採用面接を担当していた10年前には、エントリーシートの希望部署に「制作局」と書く学生が明らかに減っていた。私の実感では、その傾向は現在さらに強まっている。若い世代にとって、テレビ局で番組を作ることは、もはやかつてほど憧れの仕事ではなくなっている。
効率化で失われた「現場を観る仕事」
広告収入が減少し、配信ビジネスへの対応が求められるなかで、テレビ局は番組をどう作るかより、作った番組をどう運用し、どう収益化するかに重点を置くようになった。当然、その変化は経営としては正しい。
同時に、失われたものもある。
かつてプロデューサーが使っていた時間の一部は、出演者と話す時間だった。現場を歩き回る時間だった。若手スタッフの表情を観察する時間だった。何の用事がなくても、ぷらっと撮影現場に顔を出してみる。すると、演出部と撮影部の空気が妙に悪いことに気付く。スタッフの表情からトラブルの兆候を感じる。
そんな手間は数字にならない。それでも、番組の質を確実に支えていた。
私は現在のテレビ局を見ていて、効率化によって失われたものの大きさを実感している。制作会社への委託が増え、現場は少人数で運営されるようになった。さらにプロデューサーには、作品の完成度だけではなく、収益化や配信戦略まで求められるようになっている。
その結果、出演者やスタッフと向き合うために使われていた時間は確実に減った。かつてプロデューサーが担っていた「現場を観る仕事」は、数字に置き換えにくいがゆえに後景へと追いやられている。
「ヒト・モノ・カネ」のうち、「ヒト」を見る仕事が後回しになっていったのである。

