熟練工の指先が、AIの教師データになる

地方には何があるか。製造業、農業、物流、介護、建設、エネルギー――これらはすべてフィジカルAIの主戦場だ。しかし「主戦場」という言葉だけでは、なぜ地方なのかの本質が伝わらない。もう一段深く問おう。

これらの産業に共通するものは何か。すべて、人間の経験を現象として扱い、その現象をデータへ変える産業だ。

熟練工が段取り替えをするとき、彼の指先には機械の振動・温度・音・抵抗感が宿っている。それは長年の経験が身体化されたものだ。農家が土を触るとき、その指先には土壌の状態・水分・微生物の気配が宿っている。介護士が利用者を支えるとき、その手のひらには筋緊張・体温・呼吸のリズムが宿っている。これらはすべて「現象」だ。そして長らく、これらの現象はデータ化できなかった。データ化できないものは、AIに学習させることができなかった。

工場で金属の研磨作業をする作業員
写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです

フィジカルAIとは、この壁を突き破る革命だ。センサー、カメラ、触覚デバイス、力覚センサー――これらが現象を物理量へと変換する。振動はHz(ヘルツ)へ。温度は℃(摂氏)へ。筋緊張はN(ニュートン)へ。現象が物理量になれば、AIが学習できる。AIが学習すれば、熟練工の暗黙知がシステムに継承される。農家の経験がロボットに宿る。介護士の技がアシストスーツに実装される。

デジタル化されていない現場に、最大の余地がある

フィジカルAIとは、現象を物理量へ変える革命だ。

だから地方が主役になる。都市のホワイトカラー業務はすでにデジタル化されており、AIの実装余地は相対的に小さい。しかし地方の現場産業は、まだほとんどがデジタル化されていない。現象がデータ化されていない。フィジカルAIが実装される余地は、地方の現場にこそ圧倒的に大きい。

世界はこの変化をすでに先取りしている。ドイツの製造業AIはミュンヘンやシュトゥットガルトといった地方工業都市を主舞台とし、アメリカのアグリテックはアイオワやカリフォルニアの農業現場から価値を生み出している。中国のUnitreeに代表されるヒューマノイドロボット企業は製造現場への実装を急ピッチで進め、製造立地そのものを変えつつある。

日本の地方が持つ製造・農業・物流の高密度な「現場知」は、フィジカルAI実装の絶好の素地だ。骨太の方針に並ぶAI・半導体への370兆円超の官民投資が東京に集中するなら、地方の変革は遠のく。成長投資の果実を地方の現場産業に届ける設計を、産業政策の上流から組み込む必要がある。