日露戦争がイランに与えた衝撃

イランでは、ロシアなどの進出を受け、弱体ぶりを露呈したガージャール朝の下で次第に革新的な運動が台頭する。こうした運動が台頭したのは、日本が日露戦争(1904~05年)でロシアに勝利を収めたことに関連するものだった。

日露戦争で日本の勝利を決定づけた日本海海戦
日露戦争で日本の勝利を決定づけた日本海海戦(画像=東城鉦太郎『三笠艦橋之圖』/ CC-PD-Mark/Wikimedia Commons
書影
宮田律『イラン戦争 アメリカ・イスラエルの策略』(平凡社新書)

アジアの小国の日本が、日露戦争によって、ロシアに勝利を収めたという事実は、多くのイラン人に変革への強い欲求をもたらすことになる。また、日本の勝因についてイラン人が考えをめぐらした結果、日本とロシアは同じ帝政でありながら、立憲国家=日本の、非立憲国家=ロシアに対する勝利は、憲法こそが日本の「勝利の秘訣」であったという結論にイラン人は至ることになった。

また、1905年の帝政ロシアにおける革命も、イランの憲法制定への動きを加速した。憲法が必要だと考えるイラン人たちは、「ガーヌーン(憲法)、ガーヌーン」と叫び、憲法を要求し、立憲革命(1905~11年)の運動に広がっていった。

「日本が我らの先駆者となった」

ロシアの帝国主義に苦しめられたペルシア(イラン)にとって日本が強国ロシアに勝利したことは驚嘆、畏敬の念をもって受け止められた。

詩人のホセイン・アリー・タージェル・シーラーズイーもまた日露戦争の直後につくった『ミカド・ナーメ(天皇の書)』の中で、立憲体制下の日本が世界に新しい光を投げかけ、長い無知の暗闇を駆逐したと日本を称賛した。彼は次のように日本を賛美する作品の中でイランが憲法をもつことの重要性を訴えた。

東方からまた何という太陽が昇ってくるのだろう。
眠っていた人間は誰もがその場から跳ね起きる。
文明の夜明けが日本から拡がったとき、
この昇る太陽で全世界が明るく照らし出された。
無知の夜は我々から裾をからげて立ち去り、
叡智の光によって新しき日は始まったのだ。
日本が我らの先駆者となった以上、
我らにも知恵と文化の恩恵がやってこよう。
どんな事柄であれ我らが日本の足跡を辿るなら、
この地上から悲しみの汚点を消し去ることができるだろう。
(杉田英明『日本人の中東発見』東京大学出版会、215頁)

『ミカド・ナーメ』の末尾では次のように憲法制定の必要性を訴えている。

憲法が王権の礎となるとき、
それは王権の資源をますます豊かにしてくれる。
立憲制によってこそ日本は偉大になった。
その結果かくも強き敵に打ち勝つことができたのだ。(同216頁)

現代の日本とイランの外交関係が確立されたのは1926年で、パフラヴィー朝時代のことであった。

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