チップは上司の許可なしに貰わない

また、日本人たちが金銭に欲のないことも、その清廉潔白な国民性としてヘダーヤトの心をとらえたようだ。日本政府がつけた通訳にチップを払おうとすると、上司の許可がないからと受け付けない。アターバクが後で上司の許可を得るからと言ってチップを渡すと、後日、ホテルに上司の許可が出たので有難く頂戴したという礼状が届いていた。

フディ・ゴリー・ヘダーヤト
フディ・ゴリー・ヘダーヤト(画像=Unknown author/PD Iran/Wikimedia Commons

リンゴ売りの老女の籠に50銭を施しのつもりで入れると、老女は一行の後を追いかけてきて、「こういうものは受け取れない」と言うので、彼女から50銭分のリンゴを買ったというエピソードも紹介されている。日本のホテルの清潔ぶり、神戸の税関長の事務所の整理整頓ぶりなど几帳面な日本人にも感銘を受けたようだ。

東京では女学校を見学し、生徒たちの真摯な勉学ぶりに感銘し、また日本の学校の多さや日本人の教育熱心なところも驚きだった。ヘダーヤトの一行は、伊藤博文首相とも面談し、日本の発展は何から始めたのかと尋ねると、伊藤は人材養成からだと答えた。

日本の街中に国産品があふれていることを目の当たりにして、日本の産業化の背景には教育の充実があったことを知る。彼は、旅行記に「日本はアジアの国であるが、我々のように眠っていない」と書いた(岡崎正孝編『中東世界――国際関係と民族問題(SEKAISHISO SEMINAR)』より)。

ロシアの南下に苦しんだイラン

ロシアは18世紀初頭より国力を充実させ、拡張政策を追求したが、その南方進出の対象となったのがイランだった。ロシアは、1801年にグルジア(現・ジョージア)の一部がロシア帝国の領土であると宣言し、04年にトランス・コーカサスに軍事的に進出した。

1812年にフランスのナポレオンが再びロシアに進軍すると、イギリスは、ロシアに接近し、イランとロシアの和平を強く望むようになった。その結果締結されたのが、13年に成立したゴレスターン条約だった。このゴレスターン条約で、イランは、グルジアとカラー・バーグなどコーカサスの8つの州をロシアに割譲した。

また、ロシアは、イランにおける資産の所有権、ロシア総領事のイラン駐在、また国境貿易における5%の関税の設置などを獲得した。このゴレスターン条約は、イランとヨーロッパ諸国の不平等条約の端緒であった。他のヨーロッパ諸国も競ってこれと同等の権利の獲得を目指すようになる。