本能寺の変が「特別」であり続ける理由
それでも本能寺の変は、動機をめぐって語られ続けてきました。江戸時代の軍記物では光秀は逆臣として整理され、近代以降の歴史小説ではその内面が描き込まれます。信長像が変われば光秀像も変わる。ドラマや小説は、沈黙する史料の行間に心理を描きます。それは想像力の営みであり、多くの人を惹きつけてきました。
歴史がエンターテインメントとして消費されることは、否定されるべきことではありません。本能寺の変は、その典型です。動機という空白があるからこそ、物語が生まれる。
ただ、私たちはなぜそこまで動機を知りたがるのでしょうか。裏切りに明確な理由がなければ、出来事はただの偶然になってしまう。偶然で歴史が動いたと認めるのは、やはり落ち着きません。だから私たちは、意味を与えようとします。意味が与えられれば、出来事は理解できるものになります。理解できるものになれば、歴史は筋道のある物語として受け止められる。私たちは、理由があると信じることで過去に納得したいのでしょう。
明智光秀の動機が、教科書に載る日はおそらく来ないでしょう。わからないものは、わからないままにしておく。それが歴史学の立場です。しかしながら、その空白を物語で埋めようとする営みもまた、人が歴史を語り続ける理由です。
本能寺の変が特別なのは、動機が永久に確定しないからではありません。光秀の動機がわからないという事実そのものが、この事件を永遠の題材にしているのです。
天下人の命を奪った「天ぷら」
徳川家康の死因として、もっとも広く知られてきたのが「天ぷらの食べすぎ」説です。高齢の家康が好物の天ぷらを口にし、その直後に体調を崩して亡くなったという話です。天下を取った人物の最期としてはあまりに素朴で、その意外さがかえって人々の記憶に残りました。
天ぷら説では、家康は「健康に気をつけていたが、最後に油断した老人」と描かれています。健康に気を配り、長寿を求めてきた人物が、たった一回の食事で命を落とす。その意外さは物語として映え、どこか教訓めいた響きすらします。
どれほどの権力を握っても、身体の衰えには逆らえない。油断は禁物だ――。天下人の死が、すべての人にあてはまる人生訓へと整理されていきます。

