単なる「失敗談」にしていいのか?

具体的な食べ物の名が出る点も見逃せません。「天ぷら」という料理は、誰もが思い浮かべることができます。小難しい病名よりも、はるかにインパクトがあります。天下人の死が、自らの日常の延長へと引き寄せられる。そのわかりやすさが、この話を長く生き残らせました。

食べ物の話であれば、自分の経験に引き寄せて想像することもできます。だから天下人の死も、はるか遠くの歴史上の出来事ではなく、身近な失敗談のような形で受け取られていくのです。

けれど、人間の死因を一皿の料理に求めるのは、やはり単純化しすぎではないでしょうか。天下人の最期が、そこまで軽いはずはない――そう感じるのも、また自然でしょう。

激動の半生を乗り越え、穏やかな晩年

家康の最期を知る手がかりとして重視されているのが、側近であった金地院崇伝こんちいんすうでんの日記です。そこには、家康の体調が徐々に悪化していく様子が記されています。鷹狩りに出かけ、その帰途に不調を訴え、駿府城外で休み、そのまま床に就いた。家康の衰弱の経過が克明に見えてきます。

当時すでに70代半ば。現代医学の観点からは胃がんの可能性も指摘されていますが、決定的に断定できる史料はありません。家康の死因が「確定しない」のは、史料の限界による部分が大きいのです。

ただ、重要なのは病名よりも、晩年の過ごし方かもしれません。家康は隠居の立場で駿府に移り、政治の大枠を整えたあと、鷹狩りを楽しんでいました。若き日のように戦場を駆けるわけではなく、政権の制度を整えたのち、日常の時間を生きていた。

崇伝の日記から見えてくるのも、劇的な破局ではありません。周囲の者たちも、老いの中で少しずつ不調が重なっていく姿を見守っていたのでしょう。そこには、乱世のただ中で命を落とす武将の最期とは違う、すでに政権が安定の側へ移っていた時代の終わり方が表れています。

突然倒れて劇的に幕を閉じたのではありません。老いとともに、静かに終わりへ向かっていった。敗北でも転落でもないその姿は、むしろ大往生と呼ぶほうが実態に近いのかもしれません。