歴史上の人物のイメージはどうやって形成されてきたのか。元・東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「源義経は連戦連勝の天才的英雄として語り継がれてきたが、彼を輝かせるために嫌われ役として描かれた人物がいた」という――。

※本稿は、本郷和人『東大教授、日本史の謎を語り尽くす』(宝島社)の一部を再編集したものです。

源義経の肖像画
写真=Wikimedia Commons
源義経の肖像画(中尊寺所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

「奇跡の天才」かつ「悲劇的な英雄」

源義経は、日本史の中でもとりわけ悲劇的な英雄として語られてきました。少数の兵で平家の大軍を破り、常識外れの戦法で連戦連勝する「奇跡の天才」。義経は、戦場に姿を現した瞬間から勝利を約束された存在として記憶されています。

一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い。義経の名と結びつく戦いはいずれも鮮烈で、敵の意表を突く場面がとりわけ語られてきました。無謀とも思える行動が成功に転じる。その連続が、義経像をいっそう人間離れしたものにしていきます。

こうしたイメージを決定づけたのも、『平家物語』の語りでした。物語の中の義経は、迷いなく動き、常に勝利へと突き進む存在として描かれます。失敗や躊躇ちゅうちょはほとんど語られず、成功の場面だけが積み重ねられていきました。

つまり、義経という人物の全体が描かれるのではなく、英雄として輝く瞬間だけが選び取られているわけです。そうなると、戦い方の危うさや偶然は背景に退き、結果だけが「天才」の証として残りやすくなります。

その結果、義経は「考える前に動く天才」「戦の神に愛された英雄」として理解されるようになります。奇跡の連続こそが義経の本質であり、凡人にはまねできない存在だった、という像が広く共有されてきたのです。

大将が斬り込む戦法はリスクも大きい

しかし、史料をもとに義経の戦いを見ていくと、奇跡という言葉だけでは説明しきれない側面が見えてきます。義経の戦い方は、全体を統御するというより、自ら前に出て状況を切り開こうとするものでした。

一ノ谷や屋島での戦いも、冷静に作戦を立ててから全軍を動かした結果というより、その場で判断し、危険を引き受けて斬り込んでいった行動として捉えるほうが近いように思われます。成功したから奇跡に見えるのであって、結果が違っていれば、無謀な突撃として語られていた可能性もあります。

大将でありながら自分で前へ出てしまう、その身体の張りようが、義経の強さであると同時に危うさでもありました。全体を見て動かすというより、自分が動くことで流れを変えようとする。その戦い方が、勝てば鮮烈な英雄譚えいゆうたんになり、負ければ組織を危うくする振る舞いにもなりえたのです。